京街道
『京街道』
東海道から延長された京都~大阪までの街道筋。道自体は、奈良時代より存在した古道でした。街道としての整備を行ったのは豊臣秀吉で、当時は「文禄堤」と言われ、淀川左岸沿いにつくられた堤防を道として利用していました。その後、徳川家康の手により「京街道」と名を変え、伏見、淀、枚方、守口は大きな宿場町となりました。参勤交代のルートとしても使われ、紀伊徳川家の大名行列では約4,000人が通行したと言われています。
出展:近畿地方整備局大阪国道事務所ホームページ(https://www.kkr.mlit.go.jp/osaka/commu/road_dat/road_past.html)
京街道の出発点、高麗橋から守口までは2回歩いている。特に理由はないが、読んでいただくとそのことに少し触れている。
・京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)①
・京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)②
・京街道ふたたび・・・(高麗橋から守口まで)③
・京街道を歩く・・・(守口から枚方まで)①
・京街道を歩く・・・(守口から枚方まで)②
・京街道を歩く・・・(守口から枚方まで)③
・京街道を歩く・・・(枚方から樟葉まで)①
・京街道を歩く・・・(枚方から樟葉まで)②
・京街道を歩く・・・(樟葉から石清水八幡宮まで)①
・京街道を歩く・・・(樟葉から石清水八幡宮まで)②
・京街道を歩く・・・(樟葉から石清水八幡宮まで)③
・京街道を歩く・・・(樟葉から石清水八幡宮まで)④ 石清水八幡宮!
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