紀州街道(住吉大社〜浜寺公園)⑤

大体1回のウォーキングについて、2~4回に分けて記事をアップしている。
ところが今回は、これで5回目。
それだけ見るべきものが多かったということかな。
もう少し、お付き合いください。

堺、大道筋をさらに南へ下ると、与謝野晶子の生家跡。
と言っても何もない。
説明版の向こう側の道路上にその家はあったようで、今は大道筋(道路)になっている。
この道路の向こう側の歩道が紀州街道となっていたようで、こちらは家の裏手側になる。

宿院のフェニックス通りには一対の常夜燈。

御陵前の交差点で大道筋は終わり、少し逸れて左右に石畳を設けた一方通行の道に入ってすぐ、船待神社がある。

ここにも菅原道真の伝承があって、左遷により大宰府に赴く途中、船を待つ間に神社に参拝し、松の木を植え出発したと言われている。

なにやら木造のレトロな建物があった。
昔からの街道なので、時折レトロな建築物に出会う。

それと、相変わらず道標は多い。
全部まとめて、ドン!!

こんな表示もあった。
海も近いが、標高がとにかく低い。
津波が来たら、どこに逃げれば良いのだろう?

石津太神社(いわつたじんじゃ)に出た。

「日本最古の戎社」を称している。
鳥居の扁額は三条実美が参拝時に書いたとされているそうだが、・・・。

ふと見ると、石碑や灯籠が並ぶ一角があった。

説明板によると、南北朝時代に南朝の総大将であった北畠顕家がこの地で戦って(堺浦の戦い)討ち死にしたとある。

三光橋。
謂れがありそうだが、調べても分からなかった。

さて、いよいよ今回の目的地浜寺公園に到着した。
せっかくなので、公園を横切って、浜寺運河まで行ってみる。

途中テニスコートを横に見て、公園の橋まで行くと運河がある。
浜寺運河。
昔、親父に連れられて釣りに来たことがある。

運河の向こう側は、堺臨海工業地帯。
夜ともなると、ライトアップされて幻想的な夜景が見られるので人気があるらしい。

参考までに、無料でとれる画像での夜景はこんな感じ。

さすがに撮影はやめておいたが、公園にはかなりの規模のプールがある。
昔から浜寺水練学校というのは有名だ。
歴史もあって、紀州藩に伝わっていた日本泳法である能島流を伝承している。
シンクロナイズドスイミングは、泳法の多くが日本泳法とも共通しており、また群舞の流れも日本にあったために、受容の下地となったが、ここ浜水はその中心地のひとつだった。

結局、半周した感じでもかなりの広大な敷地。
歩きの最後に、この半周はきつかった。

今日はここまで、ということで浜寺公園駅に向かう。
明治40年(1907)建築の木造駅舎。
今はカフェに活用しているようだ。

今回は、公園の寄り道で距離が伸びてしまった。
疲れたが、満足するウォーキングではあった。
・・・紀州街道は、まだまだ続く!

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