北八尾街道(近鉄今里駅〜JR八尾駅)①・・・長瀬北小、金岡中学の同窓生に
思い入れのある街道ではある。
幼少の頃、実家の近くを通るこの街道を「八尾街道」と呼んでいた。
実際には、”北”八尾街道だったとは。
北八尾街道(きたやおかいどう)とは、今里(現在の大阪市東成区)で暗越奈良街道から分岐し、久宝寺(現在の八尾市)へ通じていた旧街道であり、北西 – 南東方向へ延びている。 現在の府道大阪八尾線の別称。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
衣摺(きずり)という町を通るので、まさに実家のすぐ脇をすり抜ける。
今回は、昔の記憶を呼び起こして、対比しながら歩いてみたい。
もし同窓生でこれを読んでいる人がいたら、懐かしんでほしい。
まずは今里へ。
布施駅と鶴橋駅の間にあって、各停しか停まらない。
残念ながら、あまり利用する駅ではないね。
まずは暗越奈良街道からの分岐点を探す。
何やらそれらしき道標が。
これで合ってた。
この道標、文化3年(1806年)に建てられたと解説されている。
もともとは、ここから20m東、北八尾街道との分岐点にあったものが移設されたようで、北八尾街道の起点で間違いなさそうだ。
ただし、移設された際に向きは変わっているとのこと。
多少のズレはあるとしても、ここからが北八尾街道になる。
街道の雰囲気を残す蛇行具合!?
関係ないか・・・。
平野川分水路を越える。
お地蔵さんがあった。
街道には付きもの。
新しいものもあれば、歴史的に価値のあるものもある。
近鉄の高架をくぐる。
このあたり、人通りも少ない。
またまた地蔵尊があった。
どんどん行こう。
これは内環(府道479号線)で、街道は分断されてるみたい。
さすが街道!?
近鉄バスの路線になっている。
こんな狭いところを通っているんだ。
何処かで見たような道を歩いていると思って振り返ってみると、そうそう俊徳街道だ。
写真の右からの道が今来た北八尾街道で、左から手前に来ている道が俊徳街道。
1年半ほど前に歩いた街道だ。
俊徳街道・十三街道物語。
少しの間、重複している。
更に進むが、道に迷いそうになったのでGoogleMapで確認すると、なんと北八尾街道の表示があるではないか。
恐るべしGoogleMap。
何やら地蔵尊がある。
鳥居の横には解説板が。
長楽寺跡。
推古天皇の創建と伝わる長楽寺と言うのがあったらしい。
岸田寺とも呼ばれていて、長楽寺を表す「堂」がつけられて、岸田堂になったとか。
そう言えば、この近くに岸田堂という地名がある。
更に進むと、これも街道???
最後に面白い画をどうぞ!
これじゃ使えない!
廃車にすれば良いのに。
・・・余計なお世話かな😀
次回はいよいよ地元に突入します。
お楽しみに!
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