竜田越奈良街道(JR八尾駅〜近鉄河内国分駅)②

柏原市に入って最初の神社。
名前の通りの柏原神社。

境内前面は旧大和川の河床だったそうです。

大きな大きな石灯籠。

柏原市は、「かしわら」と読む。
街道沿いにあった、三田家住宅(さんだけじゅうたく)(重要文化財)。

 三田家住宅は奈良街道に面した町家で、裏は了意川(りょういがわ:平野川)に接し、柏原船(かしわらぶね)の積荷をそのまま荷揚げできる造りになってい ました。三田家は、元は大坂伏見呉服町で「大文字屋」と称した有力商人で、寛永13年(1636年)に代官末吉孫左衛門に協力して柏原船を興し、寛永17 年に柏原に移り住んで柏原船の運航や肥料商を営みました。明和3年(1766年)から明和5年にかけて屋敷の大改築(大普請)が行われ、その屋敷がそれ以 後大きな改築を行われず今日まで遺されています。
・・・柏原市HPより

途中、面白い看板を見つけた。
ブリキ細工なんて、言葉自体も最近は聞かない。
ブリキというのは、スズめっきをした鋼板の薄板のこと。 耐食性があり,はんだ接着性がよく,毒性のないことなどを特徴とし,缶詰缶のような食品容器として使用される。

続いて、黒田神社

ようやく大和川に出た。
下流側を望む。

しばらく右岸の土手を歩く。
見えてきたのは、近鉄道明寺線(単線)、柏原南口駅。

大和川付替前はこの辺り、川を渡ることもなかったが付け替え後なので渡ってみる。
橋の名前は、新大和橋。

橋をわたりきったところにある「新大和川付替起点」の石碑。

橋のこっちは藤井寺市。

ここは石川が合流しているので、今度は石川を渡る。
が、橋はもう少し上流にしかない・・・。

車道と合流して車も多いので、河原に降りて歩いてみた。
今日は、風が強い。

ぐるっと廻り込んで、ようやく先程の対岸に。
左から流れてくるのが石川で、正面奥が大和川下流。
ということは、右側は大和川の上流ということになる。

ふたたび大和川の左岸を上流に向かって。

国豊橋が見えてきたら、近鉄河内国分駅は近い。
風が強く寒い日で、特に河原は寒かった。
何度もお世話になっている近鉄河内国分駅から帰途についた。

次回は亀の瀬を越えて奈良に。

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