熊野街道(大阪編)大阪メトロ天満橋駅〜JR天王寺駅①
熊野街道の大阪エリアを歩いてみたい。
熊野街道と言えば九十九王子。
王子とは参詣途上で儀礼を行う場所であり、かつ熊野権現の御子神であるとの認識があり、参詣者の庇護が期待されたそうだ。参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九十九王子に寄れるだけ寄っていきたい。
今日は快晴!
大川と中之島方面を望む。
現在の八軒家浜船着き場。
しばらく散策にお付き合いください。
水陸両用の観光バスがちょうど大川を下っていた。
八軒家浜という名称自体は、江戸時代に船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになったようで、京(伏見)と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる過書船のターミナルとなるなど、淀川舟運の要衝として栄えた。それ以前には、平安時代までに渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれる外港が成立していて、四天王寺、住吉大社、高野山、そして熊野三山への参詣道である熊野街道の起点となった。
現在の八軒家浜船着場から少し南に歩いたところに、往時の八軒家浜船着場跡の石碑が建てられている。
散策もこの辺にして、さっそく熊野街道を歩いてみよう。
街道は御祓筋を南下していくが、少し西に入ったところに熊野九十九王子の1番目の王子である窪津王子(くぼつおうじ)(または渡辺王子)があった。
現在その跡には、坐摩神社行宮が建っている。
由緒書き。
創建は、神功天皇が新羅より帰還した際に坐摩神を奉祀したというから相当に古い。
ここはかつての淀川河口、もっと言えば河内湖の出入口で、上町台地の最北端の時代があった。
神功天皇が坐摩大神を石上に奉祀された「鎮座石」。
休息されたとも言われ、「休息石」とも呼ばれているそうな。
窪津王子(渡辺王子)が鎮座されたのは平安時代か。
余談ながら、全国の渡辺姓発祥の地でもある。
さて、街道に戻ってひたすら南下。
10月も半ばだというのに、昼間は相当に暑い。
大阪市内は街道として整備されているので、道標は多く目に付く。
こんな解説板も目に入った。
2番目の王子、坂口王子についても触れられてある。
その坂口王子であるが、神崎町の南大江公園の南西端に痕跡があるそうなので寄ってみる。
朝日神明社跡(坂口王子伝承地)。
あくまで伝承地なので、はっきりしない。
案内板の横には、赤い鳥居の狸坂大明神。
熊野街道は始まったばかり。
王子に寄るので、時間の割に距離は捗っていない。
まあ、気ままにやります。
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