街道歩き、さいか〜い・・・です!

結局11月はコロナの罹患もあったし、妻の目の手術があったりで丸々一月歩いていない。
12月は再開しますぞ!

ではこの間何をしていたかと言うと、もちろん仕事はしていた。
それと、街道についてネット検索して知識を増やしていたんだが、
面白いことが分かってきた・・・気がする。

街道歩きを自認する人は多いが、その根拠となる街道って本当に合ってるの?

『日本書紀』の記述に、推古21(613)年11月に「難波(なにわ)より京に至る大道(だいどう)を置く」というのがあって、難波宮から南へ大道が伸びていた。これが「難波大道」。

ただ南の終点がこれまでは竹内街道と言われていたのが、実際はもっと手前だったことが定説となりつつあるとのことだ。もちろん、竹内街道との交差もあるものの、それは日本書紀で言うところの613年ではなく、7世紀の中頃にくだるようだ。

それによって、竹内街道の価値が下がることはないんだけれど・・・。

もっと詳しく見たい方は、こちらを参照ください。
難波より京に至る大道を置く

今、中高野街道を歩いている。

守口からを起点にするのか、平野からなのか。
これも時代によって、見方が変わるんだろう。

今回は、高野山に向かう人の流れが守口からも多かったであろうと言う解釈で、守口から歩くことにしたんだが、ちなみに守口〜平野までは、放出街道、剣街道とも呼ばれている。
参照、鶴見区のHP、旧街道と道しるべ

さて、次は近鉄布施駅から平野に向かっって、どうする? GOする!?

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