野田阪神・大和田街道に沿ってーOsakaMetroまちさんぽ/千日前線 野田阪神駅
結局、8月は歩きに出ていない。
例年のことではあるが、いや、例年以上に酷暑が続いていたので無理はしなかった。
でも9月に入れば少しはマシかと思っていたが、・・・とんでもない。
危険な暑さという表現を何度聞いたことか。
それでも家にいても暇なので、リハビリがてら近場のウォーキングから再開することに。
さて、大阪メトロのまちさんぽ。
お手軽なウォーキングを紹介している。
今回は、千日前線の野田阪神駅界隈をぶら〜り。
駅から地上に出ると、こんな風景。
阪神本線野田駅が見えている。
野田駅とは反対の、国道2号線を北西に歩いていく。
途中、落書きのある廃業したお店。
「まちさんぽ」に紹介されているものではないので・・・念のため。
こちらが最初のポイント、石畳の路地。
阪神国道(国道2号線)の路上を走っていた阪神電車国道線が昭和50年に廃止されて、その時の敷石が移設されたもの。
移設は、住民の希望だったとか。
さらに北へ向かうと、大和田街道・梅田街道碑がある。
大和田街道は、起点を西天満1丁目とし、尼崎の大物町に至る物資流通道路であった。
江戸時代は、この先淀川を渡し船で渡河しており大和田道と呼ばれており、明治41年に西成大橋が架けられてから大和田街道の名称になる。
そののち、西成大橋から淀川大橋に架け替えられて後、大和田街道は名前は消えたそうな。
海老江八坂神社。
平安時代後期には存在していたという古社。
今回のポイントは、この周辺にかたまっている。
そもそも昔は淀川が大阪湾に注ぐところにあった中洲が島になり、難波八十島(なにわやそしま)と呼ばれたところ。
野田、鷺洲、海老江などは、太古に生じた土地なので歴史がある。
神社を出て時計回りに歩くと公園があり、石碑が建っている。
疏河紀恩の碑(淀川改修記念碑)
淀川は昔は蛇行していて、洪水による氾濫が頻発していた。
明治29年の河川法成立以降に本格化した改修工事で、今のような川幅のある直線的な流路になった。
公園を出てすぐのところに、羽間文庫(羽間邸)。
あの伊能忠敬を指導した天文学者、羽間重富の子孫の邸宅。
その脇には、江戸時代のものと言われる道標がある。
こちらは南桂寺。
公園を廻って少し歩くと、松瀬青々旧跡。
関西の高浜虚子とまで言われた俳人で、壮年期に住んでいたところ。
近くには、たかの巳社。
「江戸時代初期、このあたりは尼崎城主青山幸利が鷹狩をした原野で、ここに白蛇が棲み着いていたので「たかの巳社」が造られたとされています。」(まちさんぽ、原文のまま引用)
最後に朝日地蔵尊。
ここの扁額は、先程の松瀬青々が揮毫した。
これのことかな?
「まちさんぽ」には、60分コースと90分コースがあるが、今回は60分コース。
程よく歩いて、見て廻れる設定が良い。
基本、Osaka Metro 沿線の駅を起点に、まちあるきスポットを紹介してくれるのでお手軽。
みなさんも、如何?
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