東高野街道(四条畷~近鉄瓢箪駅)②

野崎観音を出て長い石段を下りるとき、前に3人の年配の婦人が歩いている。
しばらく見ていると一人の方は足が不自由そうで、常に手摺を離さずに階段をそろりそろり降りていたので、追い越すのを躊躇った。漏れ聞こえてくる会話は、他愛もない話であったが、それだけに余計にほのぼのとした気分になってしまった。

東高野街道に戻り、次のポイントは「メノコ橋」。見逃すまいと道の左右をきょろきょろしながら歩いていたが、意外に分かりやすい場所に置かれている。

メノコ橋ー空海が修業時代に、10日間ほどこの地を訪れた。その時に橋の欄干を枕に休まれたとされ、寝床(ネドコ)が訛ってメノコになったとか。
その橋も今はなく、欄干だけが残されている。

東高野街道沿いには、空海にまつわる伝説や逸話が多い。

しばらく歩くと左手に、大阪産業大学が見えてきた。高校野球でも有名な大阪桐蔭高校もここにある。

街道とは関係ないが、今度は象印マホービン株式会社。
タイガー魔法瓶株式会社も大阪で確か門真のほうにあったと思う。なぜ、大阪に多いのか?
調べてみると、

1751年(宝暦元)に長崎商人播磨屋清兵衛が天満宮の鳥居前にガラス工場「玉屋」を造ったのが大阪でのガラス工業の始まりで、この後大阪には多くのガラス職人が育つ。多数の資材・部品の下請けも多かったため、大正初めの魔法瓶誕生から量産へと導かれていったようだ。
(出典:全国魔法瓶工業組合、まほうびんの歴史より抜粋)

「魔法瓶」というネーミングも良いね!

石碑があった。春日神社の参道とある。

今度は石灯籠。

金毘羅大権現と彫られている。
街道沿いは石碑や石灯籠の類が多いね。
大峰山百二度供養塔。大峰山に102度登山したことだろう。
さてようやく石切神社への参道入口にやってきた。何度も来ているので、実家に帰ったような安心感がある。
今回はここで区切りとする。ここから先は自宅への道のりで、前回も歩いているので。

→ 今年の正月に買った梅干があまりに美味しかったので

前回と同じく、せっかく来たので梅干しを買って帰ることにした。
石切神社本殿。

今日のお昼は、参道沿いにある大和屋さんのうどん定食。うどんも美味しい!かやくもうまい!

梅干を買って、参道をぶらぶらしながら帰途についた。

次回は、瓢箪山から歩きます!

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