中津川左岸の中津と豊崎ーOsakaMetroまちさんぽ/御堂筋線 中津駅

中津といえば住所の上では大阪市北区に位置するが、大都会大阪(梅田)の北側にレトロな匂いのする静かな街というのが印象としてある。
ともあれ、中津駅からスタート。
駅の出入口は、こんな所にというビルの一角。

マンションが林立している。
マンション派か、戸建て派かと言われれば、郊外の一戸建てが気兼ねなくて良いと思うんだが・・・。

早速、古ぼけた石標を発見!
元萩之橋碑
調べてみると、現在は豊中市に移転した東光院の山門前に架けられていた橋の跡なんだと。
当時は境内の萩が美しく「萩の寺」と呼ばれ、旧能勢街道の起点でもあったと。

その能勢街道をしばらく歩くと、元JR貨物線の跡と思われるところで工事をしている。

JR東海道線支線地下化と解説してあった。
そう言えば、JR大阪駅(うめきたエリア)地下ホームを開業したとニュースで見た記憶がある。
地上部分はまだ再開発されていくんだろうか。
地図には能勢街道の表記もちゃんとしてある。

暫く行くと、富島神社。
中津の氏神様。

由緒によると、創立年代は不詳なものの(社伝では)足利時代にすでに存在しており牛頭天王社と称していた。

明治43年に富島神社に改称された。
拝殿。

菅原道真も祀られている。
天満宮、味のある石灯籠。

富島神社を出てすぐのところに、佐伯祐三生誕の地案内板がある。
案内があるのでここかと思ったが、実はこの反対側に光徳寺というのがあって、そこが生誕地のようだ。注意不足で行き過ぎてしまった。

今度は北へ向かって歩くと、中津公園に出る。

ここにあるのは、森本薫・文学碑。
読んではいないが、「女の一生」の名台詞、「誰が選んでくれたのでもない 自分で選んで歩き出した道ですもの」は聞き覚えがある。

豊崎神社・難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)

社伝では、正暦年間(990〜995年)に難波長柄豊碕宮の廃墟地に建てられたとされているが、現在では法円坂で発見された前期難波宮跡が、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮と特定されている。
とは言え、何らかの皇宮があったのではないかと思うとロマンでないかい?

豊崎神社を出て、今度は南へ向かう。
南浜墓地。
我が国最初の火葬所・墓所であると。

少し中を拝見させてもらった。
六地蔵様。

六地蔵様は、大阪指定の有形文化財になっている。

少し先にいったところに、行基菩薩がおられた。

この行基菩薩像の奥にもまた墓地が広がっている。
見るからに古そうな墓石が多く見受けられた。

最後は、源光寺。
行基が開山したと伝わり、往時は七堂伽藍が揃った大寺院であったそうだ。

時計回りにグルっと回ってゴールも中津駅。
午前中にサクッと歩くことができた。
いよいよ梅雨となり、歩ける機会も減ってくるが、合間を見て出かけるとしよう。

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