千間川跡から平野川へーOsakaMetroまちさんぽ/中央線 深江橋駅

中央線といえば、今や大阪関西万博に乗り入れている路線ですね~。
今回は、昔、平野川流域に開けた農村地帯だったエリアをまちさんぽ。
深江橋駅から。

江戸時代に掘られたという千間川跡。
そもそも深江橋駅の北側で東西に千間(1.8km)の長さで掘られた川であるそうな。
今は埋められてあるが、蛇行具合が川であったことを示している!?

暫く歩くと平野川分水路に行き当たる。

川の流れは緩く、分かりにくいがこちらが上流側。
見えている高架は阪神高速。

川を渡って、千間川埋め立て後に造られた千間川みどり公園。

昼前だったので、早速ここで昼食に。
ただベンチが無いので砂場の横に腰掛けて、買ってきたパンをかじる。
公園には誰もいないが、次に曲がる目標となるスーパーが右奥に見えている。

昼食後、スーパーの門を曲がって南へ歩くと、阪神高速の高架下を通過。

次にポイントとなったのが、熊野大神宮御旅所。
もともとここには八剱神社あったが、同社が大今里にある熊野大神宮に合祀されてから御旅所になったと。

御旅所とは、神社の祭礼(神幸祭)で神輿が本宮から渡御して一時的に鎮座する場所のことで、神輿の休憩所や宿泊所として、また神幸の目的地としても用いられる。

続いて、八王子神社御旅所。

こちらも「前八剱神社跡」となっている。
どうもややこしい。

歴史のある神社にはつきもののクスノキが境内にある。
樹齢1300年というから相当に古い。
明治18年の淀川大洪水のときに、村人40数名がこのクスノキの大枝に3日間避難して命を救われたと語り継がれている。

この大枝ならしばらくは避難できそうだが、3日間と言われると・・・。

玉津橋。

玉津とは玉造の港という意味で、近くに船着き場があったとされる。

暗越奈良街道を歩いたときに、逆の方向から渡っていた。
暗越奈良街道(JR玉造駅〜河内永和駅)①

八阪神社。

境内にある石碑が気になった。
八阪神社の由緒が前半に書いてあって、石碑については暗越奈良街道の起点玉造の二軒茶屋の石橋として使われていたものだという。

八阪神社の本殿。

最後は八王子神社。
明治42年に八剱神社を合祀して八王子神社になった古社。その前は百済神社といおう名称だったそうで、更に古くは「椿の宮」として知られていた。

帰りは深江橋の一つ隣の駅、緑橋駅から帰途についた。

この「まちさんぽ」、駅によって90分コース、60分コースなどに別れている。
今日にしても、せいぜい6〜7kmの距離か。
これから熱中症の季節到来で、短めの距離を無理せず歩きたいもの。

励みになるので、下のアイコンをぽちっとお願いします!

にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ
にほんブログ村

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ピックアップ記事

2024.3.2

小阪街道〜枝切街道(近鉄八尾駅〜JR徳庵駅)①

いつもはネットや文献で多少の下調べをしてから出かけるんだが、小阪街道に関する資料があまり見当たらない。あまりメジャーな街道ではなく、村と村…

おすすめ記事

ページ上部へ戻る