俊徳街道・十三街道(楽音寺〜平群)十三峠を越えるぞ〜②

十三街道を逸れて、是非行っておきたかった、玉祖神社(たまのおやじんじゃ)。
高安十一カ村の氏神で、この地に玉造部の人々が住んでいたので、その祖神をまつったものと言われている。

ここから、大阪市の玉造を結ぶ道が、中世以前の古くは玉祖道と呼ばれた。
中世には十三道、明治時代から十三街道となった。
街道の原点の一つと言える。

創始が710年(和銅3年・・・社伝による)と言われるだけあって、歴史の宝庫かも知れない。
文化財だけでも、これだけある。(ウィキペディアを参考に抜粋)

重要文化財(国指定)
・木造制札
 玉祖神社の神宮寺に当たる薗光寺(おんこうじ)に掲げられていた制札とされており、1185年(文治元年)12月に北条時政が出した、日本最古の禁制(きんぜい)とされている。八尾市立歴史民俗資料館寄託。

大阪府指定文化財 有形文化財
 ・玉祖神社 木造 男女神像(彫刻) – かつて神体とされた木造の男女神坐像。

天然記念物
 ・玉祖神社のくすのき

八尾市指定文化財 有形文化財
 ・玉祖神社本殿(建造物)

その他
平安時代の歌人の在原業平が使用していたとされる笛や、豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。

静寂の中に歴史を感じながら散策してみると、パワースポット。

能楽には疎いが、高安流は一つの流儀。
その祖は、「高安大明神」ともに呼ばれた玉祖神社の社人だったともいわれてるそうだ。

山に登る前に、十分に英気を養わせてもらった。

そんなに登っていないはずだが、神社の前あたりからは大阪が一望できる。
まだまだ、これからが登りで、もっと景色は良くなるはず!

街道に戻る。
ここから山に分け入る。
左側に石仏、少し先にも石仏と道標が見えている。

道標は、いわゆる距離表示であった。
1丁とある。
1丁は約109mだから、起点はさっきの神立地蔵堂になるのかな!?

このあたりは神立茶屋辻と呼ばれ、文字通り多くの茶屋が並んでいたそうな。
説明のある石板には、在原業平と茶屋娘の恋についても記されている。

この先、鬱蒼と気が茂っているが、道は舗装されていてハイキングコースにしてある。
歩きやすいといえば、歩きやすい。

石仏があちこちに並んで建っている。
最初にあった地蔵堂の前の石仏が第一番で、水呑地蔵まで33カ所、六十六番までの二対組み合わせの石仏が並んでいるそうだ。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

全部撮るわけにも行かないが、ついつい目がいってしまう。
変化があって、山登りにはちょうど良い。
上から降りてきた年配の男性が、一つ一つ樒か何かの葉を供えておられた。

街道の登りと、小川のせせらぎ。

鳥のさえずりと、小川の流れる音を聞きながら、さらに登りは続きます。

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