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暗越奈良街道(河内永和駅〜枚岡)③

さて、枚岡までの街道歩き。続きを済ませておこう。
天保2年(1831年)に建てられたという「おかげ灯籠」。

このあたり菱江村と呼ばれ、街道沿いには多くの店があり賑わっていたそうな。

ふたたび国道に出て東を望むと、生駒山も近づいてきた。
歩き始めの頃と比べても、山に近づいてきたのが分かる。

しばらく国道の歩道を東に歩いていたが、右手に花園中央公園が見えてきたところで反対側の細い道に入る。

右手奥に見えるのが、花園ラグビー場。

少し入ったところに、松原宿跡の石碑が建てられている。江戸幕府が街道沿いに設けた宿場町であったらしい。

16軒もの旅籠があったというから、かなりの規模の宿場町であったろう。

途中、こんな解説版も。旧跡を大事にするのは大切なことだと思う。
街道沿いは、こうあって欲しい。

曲がり角には道標がある。
右は伊勢、奈良。反対側には、左大阪とある。

ここまで来ると、生駒山はもうすぐそこ!

恩智川を渡る。
恩智川は、柏原市北部の高尾山麓に源を発するそうで、生駒山からの小河川を取り込みながら寝屋川まで流れていく。

このあたりまで来ると、ほとんど地元。
今度は外環状線(国道170号線)を横切る。これは北方向を見ていることになる。
車の通行量は多い。ちょうど陸橋を渡っている。

箱殿東で東高野街道と交差するが、その脇には道標が建てられていた。
先日、東高野街道を南へ向かって歩いたところだ。

交差点の、この方向が東高野街道。

このあたりまで来ると、勾配が急になってくる。

子安地蔵尊。
以前にも紹介しているが、昔行基菩薩が旅の途中、このあたりの旧家武知氏宅に一泊された時のこと、難産で苦しんでいるこの家の妻のために加持祈祷されたところ無事に出産したので主人は大いに喜び、行基に、地蔵尊を刻んでもらい「子安地蔵」と名付けておまつりしたのが謂れだそうな。

細い道を右に左にあるき続けると、近鉄奈良線の高架に行き着く。
本日の終点である。

此処から先は、いよいよ生駒山登山になって暗峠を目指すことになるが、それは次回に。
帰りは時間もあったので、枚岡神社を経由して瓢箪山まで歩くことにした。

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