紀州街道(住吉大社〜浜寺公園)③

安立の商店街を抜けてしばらく歩くと、正音山阿弥陀寺。浄土宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。
浅野長政に縁があるらしい。
十三まいり(じゅうさんまいり)は旧暦の3月13日前後 (新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いだそうだ。

その前には、紀州街道の説明版とお地蔵さん。

そのすぐ先には、手洗い橋の欄干。
かつては手水川が流れていたが、今は埋められている。

ようやく大和川にたどり着いた。
大和橋。
大阪市と堺市をつなぐこの橋は、大和川の開削時に作られた公儀橋。
当時、この辺りにはこの橋しか無かったという。

大阪湾方向を望む。
このまま行くと、南港にたどり着く。
(実は、この二日後に思い立って南港に行くことになるが、この時は何も考えてなかった。)

大和橋を渡り切ったところが綺麗に整備されている。なので、直線的に真っ直ぐ行けない。
振り返って見た写真。

でも、ここにも紀州街道の道標が設けられていたので迷うことは無かった。
この先もそうだが、紀州街道は道標が多い。

道もこの辺り、ほぼ真っすぐです。

明治時代に建てられた紡績会社の事務所だったというレトロな建物が目についた。

建物の前には、紀州街道、歴史のみちの道標。
堺市も歴史がある街で、5街道あるという。
紀州街道、熊野街道、竹内街道、西高野街道、長尾街道。

風間寺。
大阪夏の陣で全焼した堺の街を碁盤目のような町割りにしたのが、当時の地割奉行風間六右衛門。
実直な人柄で熱心な日蓮宗の信者だったので、日蓮のお寺の地割りを広くして、堺の一部の人々の反感を買う。
そのことに対して徳川幕府が江戸への出資を命じた際に、責任を感じてこの地で自刃したという。


堺町家案内所。

「河井酔茗生家の跡」碑。
詩人だそうです。

堺も歴史があって、素敵な町並みが残っている。
この辺りだけでも、ブラブラする価値はあります。

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