河内街道(近鉄荒本駅〜JR住道駅)②
いつものように、お昼を公園で済ませて先を急ぐ。
この道も、右側が暗渠になっている。
久しぶりの道標。
実は、ここでも道を間違える。
しばらく歩いていて、どうも曲がりすぎる思ったので、地図とGoogleMapを照らし合わせると間違いに気づく。
戻って、もう一度道標を見れば、ちゃんと書いてあるではないか。
左に行くべきが、道なりに右に曲がってしまったようだ。
それにしてもこの道標、明治12年とある。
後の河内街道になるんだろう。
怪しい道標???
読めない。
例によって、お寺が多い。
日正寺。
次に、吉野神社跡地の碑。
明治になって吉野神社は、この近くの「宇波神社」に合祀されたようだ。
続いて、浄土真宗本願寺派善徳寺。
やたら、お寺が続く。
仏名寺。
突き当りに、宇波神社。
先程の吉野神社を合祀した神社と思われる。
秋祭りが有名なのかな?
以前は、獅子舞が各家をまわっていたと書いてある。
またもや街道が道路で分断されている。
あと少しで住道というところで、道が失くなっていた。
大きな団地になっている。
公民館建設記念碑を乗り越えて進みたいところではあるが・・・。
さすがに不審者に思われてもいけないので、大きく迂回することに。
右から大きく迂回して、JR学研都市線を過ぎたら、恩智川。
この川、家の近く(東大阪市)を流れてここまで来ている。
結果的に直進できなかったが、次回のために川を越えたところで次回の出発点を確認して、今回は終了とした。
JR住道(すみのどう)駅に戻るべく、小さな橋を戻ったところに地図が掲示されていた。
あ〜っ!道は正しかった。
やはり、旧の街道は団地群で消滅していたのだ。
解説によると、河内街道はここ竹橋で恩智川を渡り、北へと続いていたとある。
また解説によると、この橋の南に古堤街道が交差していたようで、道標があるとのことなので探してみた。
あえて探さないと分からないくらい、片隅にポツンと立っていた。
その横は商店街。
今日はそんなに距離は歩いていないが、何度か道を間違いかけたので時間だけはくってしまった。
それでも十分満足して、住道駅から帰途についた。
次回も楽しみだ。
ぽちっとお願いします!
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