竜田越奈良街道(JR八尾駅〜近鉄河内国分駅)①

八尾駅から再スタート。
最近仕事で八尾近辺に行くことが多かったので、見慣れた景色の中を歩く。
仕事では車で通るので、歩きだと違った風景に出会うかもね。

街道に戻って歩きだすと石碑を発見。
制札場跡とある。

「制札場とは江戸時代に幕府代官や領主が掟、条目、禁令を板又は紙に記して掲示し、住民に法令の周知徹底を期したところである。」
【出典:『説明石柱』(八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会)】

なるほど、なるほど!

街道沿いは旧家が多くあり静かな通りが続く。

道標があったので覗き込んでみると、八尾駅を指し示している。
ということは、駅が出来てからだから比較的新しい???

JR八尾駅について調べてみると、
「1889年(明治22年)5月14日:大阪鉄道 (初代)の湊町駅(現在のJR難波駅) – 柏原駅間の開通時に、同線の駅(一般駅)として開業。」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあったので、明治時代に遡るかもしれない。

旧道から、再び国道25号線に出る。
しばらくは国道沿いを歩くことになりそうだ。

国道沿いにある天王寺屋地蔵。

八尾市内では最古の石仏地蔵とある。
失礼して覗き込んでみた。
解説にある、「慈悲の温容を感じさせる」お地蔵さんではある。

地蔵尊の横にあるのは、稲生神社。

江戸期に大和川の付け替え工事が行われ、その川跡を開拓して新田が作られた。
大阪今橋の豪商「天王寺屋吉兵衛」が開拓した地域なので天王寺屋新田というようだ。
天王寺屋稲生神社は、五穀豊穣を祈念して建立されたようである。

そろそろ昼食に公園を探したところ、その前に行き着いたのが弓削神社。
弓削神社は2社あるようで、こちらは八尾市弓削町のほうで西側にあたる。

古代の河内国においては枚岡神社(東大阪市、河内国一宮)・恩智神社(八尾市、伝河内国二宮)に次ぐ格式を持った神社だったそうです。

拝殿。

道鏡って、名前は聞いたことがある。
孝謙天皇に寵愛された道鏡(どうきょう)は、僧でありながら皇位を狙った悪党として「日本三大悪人」のひとりに数えられているそう。
道鏡は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)出身なんだって。
弓削道鏡の解説板は左側。

外環の高架をくぐって出たところに石碑がある。

大和川の付替後に水の便が悪くなり、弓削村の庄屋の西村市郎右衛門さんが幕府に無許可で水路を引いたらしい。近隣の村々は助かったけれど、無許可だったことから市郎右衛門さんは処刑された。
その功績を称えるために大正時代になって、この記念碑を立てたとある。

ん?
道標だ。

八尾市内は楽しい!

四軒町地蔵尊。

いよいよ柏原市に入る。

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