小阪街道〜枝切街道(近鉄八尾駅〜JR徳庵駅)②
穴太神社。
聖徳太子の生母で用明天皇の皇后である間人(泥部)穴穂部皇女の生地と言われる。
本殿。
くすの木の大木。
八尾市指定の保全樹木とある。
この社の付近一帯はそのむかし大集落の繁栄がうかがわれこれまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され 昭和五六年の調査では多くの遺物が発掘されている.【出典『史跡の道・説明石板』八尾市・八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会、1982年】
神宮遥拝所。
暫く行くと、例によって街道が中央環状線で遮断されている。
迂回しなくては。
この先、旧中央環状線に沿って北へ向かう。
時折、道を逸れて細い旧道に出会う。
これなんか良い雰囲気のカーブになっているが、川でもあったのかと想像してしまう。
近畿大学が見えてきた。
これを西側に行くと、近鉄の長瀬駅があって、通り越すと実家がある。
この辺りにも高校の友人の実家があったはず。
大学の北東角を西に向かって北上すると、八幡神社。
八幡神社と名のつく神社は多い。
神社の略記には、江戸初期の慶長年間に創建されたと書かれている。
雰囲気の良い旧家の横を通り抜ける。
おーっ!
やっと道標を見つけた。
いい色合いの石標に、左平野と彫ってある。
こういう道標を見つけると、街道を歩いているんだなという実感が湧いてくる。
こんな角を曲がるなんて、よほど注意していないと通り過ぎてしまう。
左前方から来て、右前方に進むのが街道になっている。
これなんぞ、昔の街道風景が想像つかない。
左の道を進むが、古地図をみる限り右の道は後に出来たようだ。
彌栄(いやさか)神社。
久しぶりに見つけた、「東大阪 歴史の道」の解説板。
ー由緒書きより抜粋ー
神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王)と称されていました。 創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落とともに消失したと伝えられています。 その後、慶長5年(1600)に片桐且元より社地を拝領し社殿を再建したと宮の記録に記されています。明治5年に現在の社名に変わりました。境内には文化2年(1805)の手水鉢、旧社名の牛頭天王宮と刻む享保13年(1728)の燈籠、文政11年(1828)の狛犬等があります。また、境内には旧大和川支流の堤防上に生えていた樹木が数本残り、いずれも堤防の土が取り去られた為、土中にあった根が浮き上がっています。
本殿
この辺り、南から順に、上小阪、中小阪、下小阪とあって、現在中小阪を歩いている。
旧村だけに神社も多い。
雰囲気を楽しみながら、さらに北上する。
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