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東高野街道(京阪交野線郡津駅~JR四条畷駅)③

打上の弘法井戸は道路工事のため遠くから拝見しただけに終わったが、気を取り直して先を急ぐ。

打上の四ツ辻にでた。

ここは、南北に走る東高野街道と東西を走るなら伊勢道の交わるところ。寝屋川市が案内板(右側)を設置してくれている。左の石標を建立したのは、酒屋の勘兵衛さんで父母のために建てたとある。

反対側から見ると、「東 なら いせみち」とあり、「北 京 八はた 柳谷 妙見道」と読めるね。

さらに、打上古墳群。

この周辺には、古くから多くの古墳があったといわれていて、これら花崗岩の巨石は、かつてこの付近に散在していた古墳に使われていた石材を集めたものと考えられます。(寝屋川市の案内板より)

寝屋川市が整備している「文化と歴史のみち」は、文字通り歴史や文化に触れることのできるウォーキング(散策)コースとなっているようだ。寝屋川市のHP https://www.city.neyagawa.osaka.jp/index.html

2月堂灯籠。左側の大きな灯籠は、正面に「二月堂」と刻まれ、側面には「天保十四年」(1843年)の年号が刻まれている。「二月堂」は、奈良東大寺二月堂を指すといわれている。

説明板を持つこのお人形さんみたいのが、何とも言えず可愛い!!

右側の石灯籠は「八幡宮」と刻まれ、明和3年(1766年)、江戸時代中ごろのの年号が刻まれている。

やがて四条畷市に入った。実は、ここに来るまで四条畷は大東市にあると思っていた。別々の市なんだ。住民の人には申し訳ないが、地元を離れると結構分かっていないものです。

石碑を見つけたが、これが何かは分からない。・・・申し訳ない。

四条畷市もこんな説明板を用意してくれている。実にありがたかった。これを写メして、画像を見ながら迷わずに歩くことができたのだから。

三徳稲荷大明神とある。街道の目印。

清滝街道の石標がひっそりと建てられている。清滝街道は、大阪府と奈良県を結ぶ街道のひとつで、伊勢街道・奈良街道のひとつ。 四條畷市の清滝峠を越えることからその名が付いたそうだ。
大阪には街道が多い。古代には都があったし、伊勢や高野山、京都などを訪れる起点や中継点になったからだろう。

街道沿いにある、四条畷市立歴史民俗博物館。四條畷市内の遺跡の出土物を、イラストをまじえて展示したり、昔のくらしや道具などについて展示している。

和田 賢秀(けんしゅう)の墓地があった。南北朝時代の武将。

最後は四条畷神社。

本殿ははるか彼方に見えている。さすがにお参りする気力も体力も失せていた。

ところで、お気づきだろうか?大阪府の東高野街道マップでは、JR郡津駅からJR野崎駅までとなっているのを?
今回は時間の都合のせいにして四条畷で帰途についた。(実は、足が痛くて疲れたというのがほんとのところ)
次回は四条畷から、野崎参りの野崎観音を経て、地元の瓢箪山まで頑張ってみるつもり。

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