中国街道(阪神大物駅〜阪神西宮駅)②

貴布禰神社を過ぎた辺りから北の方向へ。
阪神電車の高架をくぐって更に進むと、かなり目立つ大きな道標に出くわす。

ここで文字通り、左(西)に向かう。
来た道は大坂道。

蓮川を渡ったところで昼休憩に。
いつものように、パンと缶コーヒー♬

さて、今歩いている道は、琴浦通り。
成徳小学校の前の歩道には、埋め込みの案内表示があった。

その少し先には方位を示す埋め込みも。

琴浦の由来は何か考えていると、琴浦神社に行きついた。

琴浦通り(尼崎市道第133号線;旧国道・中国街道)に面し、南に向いて本殿が建てられている。祭神の源融は光源氏のモデルともいわれ、寛平年間(889年 – 898年)に京都六条の河原院(現在の渉成園)という邸宅を造営し、陸奥国塩釜の風景を模して庭園をつくり、この地より、毎日20石の汐水を汲んで運び、塩を焼かせたという伝承に基づいている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ほほう、祭神の源融は光源氏のモデルになった人!?

恒例の石灯籠、チェ~ック!
享和とあるから、1801年~1804年。
このころの江戸幕府の将軍は徳川家斉(いえなり)(11代)になるが、もひとつピンとこない。

琴浦神社を出てしばらく歩くと、北側の公園に石碑を発見。
契沖-国学の発展に寄与した真言宗の僧、国学者。

さらに西へ西へ向かうと、勾配がある。
武庫川に着いた。

昔から水のきれいな川と言う印象があって、小さい頃、父親に連れられてハゼ釣りに来たのを覚えている。確かもう少し下流で、小舟を借りて釣りをしたような・・・。

琴浦通りは、旧国道とも呼ばれている。
いやに、旧国道の表示が多い。

武庫川を越えてしばらく歩くと、崗太神社(おかたじんじゃ)。

立派な石灯籠が一対。

この神社の境内にはユニークなものがある。

碁盤を模した石造物。
碁盤の儀といって、七五三参りの子供が盤の上に立ち、恵方を向いて今後の健勝と招福を祈るんだって。

これは、何?

「罪穢れを祓い幸運を招く反閇」
伝承儀礼だそうで、作法に則って歩くことで穢れを祓うんだとか。

最後は、これ!
禦サイ招福青石(静止打ち標の青石)・・・サイの漢字が出てこない😆

岡太神社を出て、更に西に向かうが、途中歩道橋に上がって眺めてみた。
六甲山の山並みが近づいてきている。

少し街道らしき、蛇行する道に出てきた。

今津の手前にある、桜翁大明神。

お稲荷様のようで、狐様が鎮座している。

さて、その阪神今津駅。

武庫川を越えてからは、西宮市に入っている。
それにしても西宮市には、街道の案内が殆ど無い。
あるのは、市内全域路上禁煙の表示ばかり。
喫煙者いじめも大概にしてもらいたい・・・。

西宮市を流れる津門川に架かる津門川橋。

川を渡ると、大岩大神の石碑があった。
解説できない・・・。

結局、西宮市に入ってからは、中国街道を感じることもなく西国街道との追分に行き着いた感がある。
仕方ないので、少しぶらついてみた。

西宮本町の交差点には解説版があったが、特に見るべきものもない。

さて、次回からは西国街道を三宮から歩いてみようかとも考えている。
気まぐれなので、どうなることか。

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