近松と西鶴が眠るまちーOsakaMetroまちさんぽ/谷町線 谷町九丁目駅

大阪の文芸や舞台の歴史を彩った偉人たちが眠るまち、谷町九丁目界隈を歩いてきた。

スタートは出口④となっているが、閉鎖されてますがな。
とりあえずエレベーターがあったので垂直に上がって位置関係を探ると・・・。
なるほどマンション建設のために出口を閉鎖しているのか。

ともあれスタート。
コーナーで道標が目印になっているが、今度はそれがない。
・・・方角があっているのか不安になってくる。
もう一度地図とGoogleマップを見比べてみたが合っていそうだ。
もう少し先に行こう!
あった、あった。
次の道標を見つけた。
熊野街道なので、以前この前を通っている。

さて1つ目は服部良一歌碑とあり、見つけることは出来た。
服部良一さんは、昭和期前半の有名な作曲家。
「東京ブギウギ」「青い山脈」など今でも口ずさめる曲を作曲されている。
小さな頃テレビの素人歌番組で審査員をされていたのを覚えている。

その歌碑だけど、グラウンド内にあるためフェンス越しの撮影。
雑草が激しすぎて、画像では良くわからないのが申し訳ない・・・。
ただよく見ると、青い山脈の歌詞が見えた。

続いて、誓願寺。


「好色一代男」などで有名な井原西鶴のお墓がある。
さすがにお墓を見るためにズカズカと入るのもどうかと思うので、玄関先で失礼した。

公園の横を抜けて西へ向かうと、古い道標がある。
熊野街道東平野町道標。
「右ハ 八けんや みち」「左ハ てん王うじ」と書かれている。
ただ現在熊野街道に比定されている道は二筋西にある。

谷町筋に戻って少し北に歩くと、近松門左衛門のお墓に行き着く。
またお寺の中かと思ったら、ビルの横にお墓があった。

お邪魔してみる。

近松門左衛門はご存知のように浄瑠璃作家で、「曾根崎心中」「心中天の網島」など。
と言いながら、浄瑠璃に詳しい訳ではない。

元々はこのあたりにあった法妙寺にお墓があって、寺が大東市に移転し、国の史跡指定を受けていた近松の墓だけが現地保存されたそうだ。

少し戻って谷町筋を横切り西へ向かう。
この辺り上町台地なので、西に向かっては下り坂になっている。

今度は南に向かって、本経寺・豊竹若太夫墓。
竹本義太夫と並ぶ浄瑠璃の太夫だそうです。

寺の前を西に向かうと、高津公園があって、

中程に高津宮がある。

高津宮は秀吉がこの地に遷座した。
古典落語「高津の富」は有名ですな。
富とは富くじのことで、今で言う宝くじ。

参道を南へ戻って行くと途中にある「梅の橋」。
かつて高津宮のあたりは梅の名所であった。

このあと常国寺(梶井基次郎、初代中村鴈治郎の墓)の横を通り、生国魂(いくたま)神社へ向かう。
生国魂(いくたま)神社はいくたまさんで親しまれている。

神武天皇が東遷で難波津に上陸した際に創始されたというから由緒ある神社。

境内は広くて、見どころ満載って感じ。
拝殿を望む。

境内にある井原西鶴像。

織田作之助の像もある。

最後に紹介するのは、米沢彦八の碑。
元禄期にここで小咄を始めて上方落語の祖とされた人で、この地が上方落語発祥の地とされている。
画像の左側には、上方落語協会、桂小文枝、桂春団治、桂米朝名で献碑されてある。

以上で終了。
おおよそ60分の街歩き。
今日も暑かったー!

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