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暗越奈良街道(河内永和駅〜枚岡)①

前回の続き。近鉄の河内永和駅を降りて、まずはJR河内駅へと乗継ぐところを拝見。と言うのも、綺麗になったと聞いていたので。

おーっ!早くもミストを噴射している。暑さ対策もバッチリのようだ。

前回途中の暗越奈良街道に戻るには、こちらとは反対側。
鴨高田神社の脇を通って、街道に復帰する。

前回は、JRおおさか東線の手前で終えているので、この高架をくぐって東へ東へと向かう。まだ生駒山は遥か彼方に見えている。

しばらく歩くと高井田地蔵(清水地蔵)というのがある。脇には東大阪歴史の道との石標があり、地蔵さんの由来が解説されている。各市によって、歴史の案内表示には特色があるが、東大阪は歴史の道と銘打って、解説板を設置してくれている。

この地蔵さんは、奈良街道と旧大和川(長瀬川)が交わる自然堤防の上に立っている。なので、西の土地より一段高くもなっている。

で、またしばらく歩くと西岸地蔵。

旧大和川(長瀬川)の西岸の位置に鎮座していたとされる。
この先に川幅30m〜40mの旧大和川(長瀬川)が流れていたわけだ。

現在の長瀬川に出た。こちらは下流側。

上流側はこんな感じ。

街道らしき道を抜けていくと、国道に出た。
位置的には近鉄河内小阪駅の北に位置する。
生駒山を望むと、まだまだ遠い。

この先も現在の国道を中心に脇にそれたり、戻ったりしている。少し先で反対側に歩道橋を渡ることになったので、改めて生駒山との距離感を見ておこう。今日のゴールはあの山の麓になる。

国道をそれて街道らしき道の途中、御厨行者堂。
御厨(みくりや)と読む。

その裏には解説板が。ここには記載がないが、そもそも御厨とは神饌(神の召し上がる食物の総称)を調理するための屋舎を意味するが、広義には神饌を調進するための領地も意味する。

解説に曰くは、御厨が河内地方の文明開化発生の地であったとある。明治の初期に八尾警察署の分署が出来たり、御厨郵便局が出来たりと先進国的な役所や施設がこの地に開かれたからだとか。

今日はのんびり歩いているので、街道を少し逸れて天神社のほうにも寄り道してみよう。

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