俊徳街道・十三街道(布施〜楽音寺)①
2022年10月「13日(木)
今回からは、十三街道を歩いてみる。
近鉄の布施駅で下りて、暗越奈良街道から分岐する地点へ急ぐ。
十三街道は、玉造から暗越奈良街道と同じ道を歩いて、ここ布施の足代で分岐するようだ。
ただ、諸説あるらしく確たるものはない。
暗越奈良街、道の向こうが玉造方面。
ここから南へ。
今回は、杉山三記雄氏の「河内街道を行く② 俊徳街道・十三街道」を頼りに歩いてみたい。
ブランドーリふせ商店街。
しばらく歩くと「すし富」があり、その右の路地が街道となっている!?
とりあえず、行ってみよう。
そもそも十三街道自体がマイナー(?)な街道なので、資料が少ない。
それはさておき、雰囲気は良い。
布施駅前にあるヴェルノール布施の前の道を歩く。
ここは、1F〜3Fまでは商業施設で、4Fが市の施設、それより上はマンションになっている。
布施のベンチマーク的な建物。
しばらく歩いて、今度は近鉄奈良線の高架をくぐる。
このあたりの高架は高い。
一つには布施駅で大阪線が2階部分、奈良線が3階部分という分岐点によるもの。
加えて、次の永和駅でJR大阪東線を越えるせいでもある。
近鉄布施駅方面を望む。
さて今度は、そのJRおおさか東線をくぐって、さらに東へ。
途中、消失したと思われる部分も回り道しながら、俊徳街道との交点にたどり着く。
正面が菱屋西の配水場。
俊徳街道は向こうから。
ここからは俊徳街道と十三街道は同じ道をたどる。
ただ、この十三街道は非常に痕跡が少ない。
なので、画像は少なめ・・・。
街道をたどる。
上小阪を過ぎて、近畿大学が見えてきた。
一つの目印。
上小阪の竹中邸。
ネットで調べても出てこないが、杉山氏の本には記載されている。
慶応4年の堺県役所の制札が所蔵されている、古くは庄屋であった由緒ある家。
さらに進むと、右手に近畿大学記念会館が見えてくる。
先を見ると、中環で街道は途切れていた。
中環とは、正式には大阪中央環状線。
致し方ない。
かなりの迂回になるが、街道歩きには付きものだわ。
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