竜田越奈良街道(南海今宮戎駅〜JR八尾駅)②
四天王寺南大門を後にして、これからは国道25線に沿って歩いていく。
河堀稲生神社(こぼれいなりじんじゃ)。
これは読めない。
聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群「四天王寺七宮(してんのうじしちみや)」の一つ。
由緒書き。
(の後ろにある燈籠らしきものが気になるが、立ち入るのはまずかろう)
JR環状線、寺田町駅横の高架下をくぐる。
味のある!?源ケ橋商店街。
奥村橋石碑。
大阪市東住吉区のHPに詳しい。
再び国道25号線を歩くと、JR大和路線の高架をくぐる。
表記にある東部市場は少し北側にあって、父親が一時市場内の青果会社に勤めていたのを思い出した。
ちょうど跨道橋があったので高い位置から25号線を臨んでみた。
お天気は快晴、気温も程よく、絶好のウォーキング日和。
ちょうどお昼になったので、いつものように公園で昼食♪
育和公園(東側)。
昼食後、いよいよ平野郷に入ってきた。
平野郷は平安時代に開かれ、戦国時代にも自治都市として栄えた環濠に囲まれた都市。
街に入る13の木戸口のひとつ、馬場口門の傍らにあったという地蔵尊。
かつての平野郷を表した解説板と石碑。
平野郷を巡っていると時間が足りないので街道沿いだけ少し寄り道することにした。
馬場口門は大阪から奈良街道を歩いてきたときには、大念佛寺への参詣道にもなっていた。
その大念佛寺。
「令和の本堂大改修」をされている。
杭全神社から南に下ってきたところ、街道沿いに道標がある。
當社が杭全神社だとか。
その杭全神社。
中高野街道を歩いたときにも訪れている。
歩けば歩くほど交差する街道は増えてくるもんだね。
全興寺も中高野街道のときに訪れていた。
全興寺内にある道標。
移設されてきたものだという。
平野郷を出て、八尾に向かいます。
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