俊徳街道・十三街道(四天王寺〜菱屋西)②

俊徳街道を歩いている。
改めて街道名の由来だが、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物が高安から四天王寺まで通った道からきている。

俊徳丸は河内国高安の長者の息子で、継母のいじめによって失明し落ちぶれて四天王寺にたどり着く。もともと恋仲であった娘・乙姫が俊徳丸を探し出し、四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。最後は娘の家を継いで、家は栄え、幸せになるというもの。
お決まりであるが、継母の家は落ちぶれていくことになる。

四天王寺南門から出発して、十三街道との合流地点までが今回のミッション!

前回の続き、街道を少し逸れて、国分町公園に寄ってみた。

奈良時代に国ごとに建てられた官営のお寺、国分寺。
災害や外敵からの保護、五穀豊穣など国の利益を仏教で祈るために建立されたそうな。

摂津国(大阪)では、北区長柄と中央区森之宮中央にも国分(もしくは国分寺)の名前が残るが・・・。

ここ、天王寺区国分町の国分町公園やその周辺から、奈良時代の古瓦が出土しているそうで、この地にあったとするのが有力らしい。

公園を出て、JR環状線をくぐる手前にも旧跡が。

フェンスで囲われているが、隙間から撮ってみた。
解説版によると、熊野街道沿いにある九十九王子の一つ、上野王子らしき記載があるが位置的には少し無理があるようだ。

さて街道歩きの続き、JR環状線をくぐって先を急ぐ。
この先は、生野区。

生野区は全国一の風呂屋王国だそうな。

道(街道)の雰囲気自体はすごく良い!

なるほど風呂屋さんが多い。

広めの道路に出たが、これが疎開道路と言って、南北3.5kmほど続いている。
戦時中爆撃による火災が、町中に広がるのを防ふせぐために作られた空地。
当時は強制的に立ち退きさせられて、田舎に疎開していったという。

俊徳道せせらぎ広場。(住民参加で作った”まちかど広場”だそうです。)
ここでようやく「俊徳道」という名前が出てきた。

そろそろお昼なので、御勝山南公園で休憩することに。
ただの公園にしか見えないが、もともと古墳があった。

勝山通りを挟んで、後円部の墳丘が反対側にあり、大阪五低山のうちの一つとされている。

また後円部の東側は桑津街道、鶴橋街道、俊徳街道の交点となっており、かつては交通の要所であった。

勝山通り、東の方角。
生駒山が遠くに見えている。

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