太子道(筋違い道)(近鉄大和八木駅〜近鉄飛鳥駅)②

飛鳥川を遡っていると、道標を見つけた。
右、岡寺とある。
岡寺は、明日香村の東、岡山の中腹にあるので『岡寺』と呼ばれる。
日本で最初の厄除け霊場のこと。
写真の通り良い雰囲気だが、ガードレールが無ければもっと良いのに。

さて、いよいよ明日香村に入る。
このまま、この道を歩けば甘樫丘(あまかしのおか)に行き着くはず!
前方に見える森がそうだろうか。

上の写真に3人のサイクリングをされてる年配の方々。
このあと甘樫丘はどちらの方向かを聞かれることになる。
見ると電動自転車、半分羨ましいがこちらは街道歩きの身の上なので・・・。

ともかく道は合っていた。
眼の前に丘らしき森が見えている。
(実際、これが甘樫丘)

でもその前に寄るところがある。
豊浦宮(とゆらのみや)。
推古女帝が即位した宮殿。
その遺跡があるという向原寺。

推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移った後に建てられたのが豊浦寺。
日本最初の寺とされている。
残念ながら物部氏によって焼却されてしまった。

明日香村に来たなと感じる万葉集の歌。

向原寺の一角にある難波池。
この池は『日本書紀』欽明天皇13年仏教伝来の記事に廃仏派の物部尾輿(もののべのおこし)が仏像を投げ込んだ”難波の堀江”であるとの伝承を持つ。(案内板より)

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さて甘樫丘(あまかしのおか)、案内板(地図)。
なるほど!
見たいところは沢山あるが、今回は水落遺跡と酒船石だけは見ておきたい。

甘樫丘を右手に見て飛鳥川を越えるが、橋の袂に3つも道標が立っていた。

橋を越えてすぐのところに、石神遺跡。
今は田畑が広がっているだけだが、飛鳥時代の遺跡で外国使節に対応する迎賓館の役割をしていたそうだ。
斉明天皇の時に最も整備されたとあるから、聖徳太子の時代よりは後の話。
解説板のみ撮ってみた。

すぐ近くに水落遺跡がある。
日本で初めての水時計跡というのは知っていたが、石神遺跡と一体であり日本(倭国)の威厳を示すものだったとは。

元は、中央を除いて24本の柱によって構成される総柱建物だったようだ。
礎石の跡が見て取れる。

周辺を散策してみた。

も一つイメージが沸かないなあと思っていたら、別の解説板があった。
なるほど!
水時計は、当時の最新かつ最高の科学技術であったと。

さて次は酒船石遺跡に向かおう。

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