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俊徳街道・十三街道物語

厳密には、十三街道俊徳街道は別の街道であるが、地理的・歴史的に一体と見なす場合が多いとのこと。
その通説に従って、表題としよう。
とにかく歴史の塊だわ。

今回は、杉山三記雄氏の「河内街道を行く② 俊徳街道・十三街道」とウィキペディアを大いに参考にさせて貰った。

まずは、十三街道から。
古くは、大阪・玉造と八尾市の玉祖神社を結ぶ道として、玉祖道とも呼ばれたそうで、明治以降に十三街道と呼ばれるようになった。

玉祖神社のあるあたりには、大和朝廷の頃から曲玉(まがたま)を作っていた玉造部(たまつくりべ)の人々が暮らしていたそうで、大阪・玉造も同様であり、地理的な関わりも深く、街道を通じて深い交流があったといわれている。

十三街道の起点は大阪市内の玉造駅付近からはじまり、暗越奈良街道を進むようで、東大阪市足代付近で南下し、三ノ瀬付近で俊徳街道に合流する。(ただ諸説あるらしく、これと言う経路が判然としない。)

十三街道はそのまま東へ進み、若江南で河内街道と合流、八尾市幸町で河内街道と分かれ、心合寺山古墳の北側、神立地区を経て、十三峠を超え生駒郡平群町に至る。

一方、俊徳街道

河内国・高安に住んでいた俊徳丸が、高安から四天王寺へ通った道筋といわれ、沿道の広範囲に亘り『俊徳』と冠される施設・旧跡などが点在する。起点(終点)は四天王寺の南門とされ、大阪市内の御勝山古墳の東側、北巽駅付近を経由し、東大阪市の三ノ瀬付近で十三街道に合流する。

四天王寺、南門。

さらに歴史の面白いところ。

業平道と言うのがある。ほぼ十三街道になるが、平安時代の歌人・在原業平が竜田から十三峠を越えて枚岡神社に参詣した折に「神立茶屋辻」にあった茶屋の「梅野」という娘に恋をして、八百夜も通いつめたといわれ、『業平の高安通い』として伝えられている。

マイナーな街道ではあるが、歴史とロマンが詰まっている。

歩く前から、ワクワクしてきた。

どうも、街道歩き症候群にかかったようだ。

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