熊野街道(大阪編)JR百舌鳥駅〜JR鳳駅

季節が夏から冬に切り替わった!?
今年は秋があったのかな?
ともかく寒い一日に、街道歩きを再開した。
今日は、百舌鳥駅から。

百舌鳥古墳群も世界遺産になったんだっけ。

大仙公園と仁徳天皇陵に挟まれた御陵通りを西に向かう。

仁徳天皇陵を過ぎると道は下っている。
築造当時、海だったとも言われているのが頷ける。

しかし熊野街道が、なぜここから西に向かって寄り道しているのだろうか?
この先にはかつての環濠都市、堺がある。
堺に寄ることが目的だった!?

熊野詣(くまのもうで)は熊野信仰に基づいて行われ、平安時代から鎌倉時代にかけて盛んだった。
その頃の堺は漁港として発達し、西日本の海運の拠点として発展するのはもっと後のこと。
戦国時代あたりなんだが。
誰かご存じの方がいれば教えてほしい!

その環濠都市、堺に到着。

今いるのは、かつての環濠都市の南東の端。

ちょっと寄り道すると、南宗寺。
ここには大坂夏の陣において、徳川家康が後藤又兵衛に槍で刺されて落命したという伝説があり、密かに家康をお祀りしたとされている。

南宗寺の周囲をぐるりと回って、土居川の橋を渡ると熊野街道の解説板があった。
ここから再び南へ向かう。

堺市が設置している道標。
平成9年となっている。

ほぼ真っすぐ歩いていくと、国道26号線(第2阪和国道)をくぐる。
曇ってくると寒さが応える。

道標と鳥居を見つけた。・・・石津大社

「日本最古の戎宮」と称している。えびす神は一般的に耳が遠いとされており、石津神社では本殿横に木槌で叩いて願い事を唱える板が設置されている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本殿。

さてその先の石津川を渡ったところで、昼食はまたまたマクドに。
しばし、休憩。

昼食後再開して暫く歩くと、5差路に出た。
はてさてどの方向か迷うところであったが、熊野街道の表示板が。
この表示板、株式会社シマノさんの寄贈だそうで、何にしても有り難い。

最後は、大鳥大社。

全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされ、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と
大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)。
平清盛・重盛親子も熊野参詣の途中に参拝したそうだ。

現社殿は、1909年(明治42年)12月に再建されたと。

御神馬と向こうに見えるのが、日本武尊。

本日は、ここまで。
先週は暖かかったのに今週は気温も低下。
フリースを着て歩いたが、それでも寒かった。

帰路はJR鳳駅から。
この間王子はなかったが、当時は堺あたりが休憩場所にでもなっていたのか???

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