北八尾街道(近鉄今里駅〜JR八尾駅)②・・・長瀬北小、金岡中学の同窓生に
寿町1丁目の交差点。
交通の要衝?
画面右側が西方向で生野に向かう。
手前が北で布施柳通りに通じて、奥左斜め前方が八尾方向になる。
一番変わったのは東方向ではなかろうか?
昔は細い道だったような気がする。
(ちなみに以降、”昔”というのは50〜60年前のことです)
暫く歩くと、JRおおさか東線のJR長瀬駅。
昔は城東貨物線が単線で横切っていて、線路の両側は荒れ地か田畑が広がっていた。
特にここより南側は。
またこの辺りで交差していた踏切は『北八尾街道踏切』と称したらしい。
ここで府道大阪八尾線と分かれて左の細い道へ。
すぐに子安地蔵尊。
これがまた年代物。
プレートには昭和38年9月7日とあり、本尊はそこから135年前の作品であると記載されている。
その先、長瀬北小学校。
創設から150年ほどになる歴史のある小学校。
配置的には昔のままで、校舎自体は建て替えされたとも思えない。
その右側、南側にあるのも学校の建物。
私が卒業したあとで建てられた。
しかし、使っているとも思えないが・・・。
当時は古い建物が草木に覆われ、立入禁止のお化け屋敷だった。
実は歴史的に価値のあるもので、「吉松新田会所跡」だと知ったのはずっと後のこと。
児童数が増えた時代だったので校舎を増設したのかな。
説明板を立ててくれているが、フェンスがあって見にくいし、フェンスにも何やら張り紙が掛けてある。何とかならないか!?
小学校の前、北向き。
南向き。
長瀬川は昔、工場排水を垂れ流ししていたので、原色の青やピンクの色をした水が流れていた。
今は昔で遊歩道も設置され、水も綺麗になった。
春には川沿いの桜が情緒を誘う。
小学校の南側、川沿いの東方向。
昔、撚糸工場があった。
今はセブイレが建っている。
(セブイレの前は、確かサンコーというスーパーだったと思う)
明治の半ば、中河内郡は綿作・綿業の核心地であり、 特にこのあたりには撚糸工場が点在していた。
街道に戻ろう。
小学校裏の角を南に向かう細い道。
また思い出した。
真っ直ぐ行くと長瀬神社だが、その手前に駄菓子屋さんがあって、おでんを食べた記憶がある。
今は比較的新しい住宅が立ち並んでいる。
長瀬神社。
鳥居から本殿を望む。
由緒であるが、まず地域として、このあたりの村々が明治22年に合併して長瀬村になった。
明治末期に1村1社とする合併合祀の機運が高まり、上記の村々にあった神社が合祀されて長瀬神社になったとある。
本殿。
夏祭り、秋祭りにはよく来たが、今更ながら比較的広い神社かなと思う。
神社を出て南に向かってすぐに振り返ってみた。
写真左側に喫茶店があったと思う。
祭の日に親父に連れられて、ここでレモンスカッシュを飲んだ記憶がある。
地元だけに寄り道が多くなってる。
この後は、先程のセブイレで買った菓子パンを実家に寄って昼食とした。
まだまだ続くよ〜。
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コメント
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あそこのお化け屋敷と呼ばれるところ、夕方ともなると、薄暗くて怖かったなぁ〜。小学校のそばにある文房具屋さん、タバコを扱っていて、父親によく買いに行かされたわ。
駄菓子屋さん、冬場だけ、おでん(関東炊)をしていた。よく味のしみ込んだコンニャクが美味しかった記憶がある。
因みに長瀬北小学校、創立150周年を超えていますよ。
(私が在校中に100周年を迎えているので)
生徒数が増えたので、八尾街道を超えて通学するかしないかで校区を分けたんだったかな。
松嶋尚美をググっていたら、こちらの記事に辿り着きました(*´ω`*)
田辺さん
コメントありがとう。
校区を分けて出来たのが、長瀬西小学校ですよね。
6年生になった時だったかな?
私と同世代ですね。