小阪街道〜枝切街道(近鉄八尾駅〜JR徳庵駅)③

小阪街道を北上している。
閑静な住宅地の中に見えてきたのは、司馬遼太郎の記念館。
司馬遼太郎については今更説明するまでもないが、街道歩きをするようになったきっかけの一つかもしれない。そうだ、『街道をゆく』を読み直してみよう。

今日は記念館には立ち寄らずに先を急ぐ。

司馬遼太郎記念館の西隣に当たる位置に、小坂神社。
由緒によると、「本地は古来若江郡に属し、北小坂村と称していたが、寛永十年(1633)正月、下小坂村と改称する。 これより以前の天正二十年(1592)、十八件の家がこの原野開拓に当たり、水利至便、五穀豊穣を祈願する為、当社を奉祀したのが起因である。」とある。

このあたり旧大和川の支流の一つがあり、湿地帯が広がっていたらしい。
今は、その面影もないが。

例によって御神燈を調べてみると、寛政5年とあるから、1793年。
江戸3大改革の一つ、寛政の改革が有名。

更に北へ歩くと、地蔵尊がある。
立江地蔵尊とあり、四国第19番札所と書かれているので、立江寺が由来と思われる。
立江寺は、天平19年(西暦747年)に行基菩薩が光明皇后のご安産の念持仏として建立されているので、安産の地蔵尊かもしれない。
(間違ってたらごめんなさい)

近鉄奈良線を越えて、大阪商業大学の脇を更に北に向かう。
今日も寒い・・・。

暗越奈良街道との交点に出た。
しばらく重複して東に向かう。
暗越奈良街道を歩いたのは2年ほど前か・・・。
年をとるに連れて、時間の進み具合が早くなってる気がする・・・。
暗越奈良街道(河内永和駅〜枚岡)

右奥からが暗越奈良街道、左奥から来たのが小阪街道。

お地蔵さんと道標が仲良く並んでいた。

この辺り、地名は御厨(みくりや)。
「東大阪 歴史の道」の解説板。
暗越奈良街道の表記はあるが、小阪街道はないぞ。
マイナーなんだろうね。

その横にある、行者堂。
大峰山登山に縁(ゆかり)がある。

第2寝屋川を越える。

暗越奈良街道との重複路はここまで。
小阪街道は左奥に向かう。(右に行けば暗峠のほうに)

「長田西地蔵尊」、地元では「まんうけ地蔵」と呼ばれているそうです。
「まんうけ」って、どんな漢字なんだろう?
知ってる人がいたら、教えて。

再び、第2寝屋川沿いに出た。
この写真の右側には、楠根墓地がある。
街道沿いには墓地も多い。

阪神高速東大阪線(中央大通り)を越えたところにも長田西墓地。

楠根川緑地というのがある。
細長く緑地帯が続いているが、かつては川が流れていたのかしら。

街道はこの緑地等と平行に一本西側を通っているが、こんな雰囲気が好きだなあ。

稲田八幡神社。
もう徳庵駅も近そうだ。

イチョウの木は樹齢500年を超える御神木で、東大阪市指定天然記念物にも指定されている。
さすがに季節的に葉がないので、寒々しく感じるが。

夜泣き地蔵尊。

読んで字の如しか。

道標を見つけた。

徳庵駅前のレトロ感のある商店街までやってきた。

徳庵から先は、枝切街道と名を変えるそうです。
今年は冬といえども雨が多く、なかなか休みの日と合致しません。
次の街道歩きは、いつになることやら!?

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