古堤街道を歩く(JR住道駅〜中垣内あたりまで散策)②
「角ノ堂銘碑」を見た後、平野屋新田会所跡に向かう。
比較的新しい住宅街を縫うように進むと見えてきた。
この一角ではないかな!?
以前誰かのブログで見たときは、会所跡らしいが荒れていると書かれていた。
最近になって整備されつつあるみたいでフェンスに囲まれ、解説版も貼られている。
平野屋新田会所は、平成20年まで江戸時代の建物群が残されていたそうなので、なんとも惜しい気がする。詳しいことは、大東市のHPに書かれているので、そちらを。
平野屋新田会所跡
道具蔵と船着き場
くわしい解説も。
もともとは広大な敷地があったようだが、さっき歩いてきた新しい住宅街に置き変わったんだ。
いろいろ諸事情があるそうで。
街道に戻って、「さんだんもんの樋」というのを探す。
大和川の付け替え以降に新田に作られた水路に、農業用水の調整のために設けられた樋門のこと。
これかなと思われる。
更に街道を進むと、坐摩神社参道との石碑。
舗装された住宅街の路地を抜けると。
坐摩神社。
この神社の西隣には平野屋会所があったそうなので、会所が宏大だったことがわかる。
「深野新田」の開拓権を譲られた平野屋又右衛門(大坂の豪商)が、守り神として「坐摩神社」(現大阪市中央区)から分霊を勧誘したのが、当神社の由来だそうだ。
〜『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。
外環(国道170号線)を越えると、山は近づく。
北側に大阪産業大学、南側に変電所に挟まれた道を東に歩く。
東高野街道と交差するところには、石碑が二つ。
小さい方は、「龍間山不動尊 たつまの・・」まで読める。
大きいほう。
真っすぐ伸びているのが古堤街道。
いよいよ山を登っていくが、少し登ったところで行き止まり。
下調べしてあったので予想通りではある。
遮っているのは、阪奈道路。
道路に上がって続きを確認するが、阪奈道路を横切って、この道を行っても道は途絶えるらしい。
中垣内庚申塔があるというので探してみる。
少し南へ下ったところに地蔵尊がある。
このあたりのはずだが・・・。
地蔵尊の横にある階段を上がってみると、こんなところに。
庚申塔の説明と、これが江戸時代後期の建立で秀逸な碑であることが書かれている。
最後は須波麻神社。
Google Mapを頼りに探すと、こんな道を誘導してくれる。
Google Map、恐るべし・・・。
到着!
須波麻神社。
左側のおかげ燈籠は、道標を兼ねたもので、東高野街道から移設されたそうです。
神社の祭神は、大国主命。祭祀は出雲大社と同体だとか(言い伝え)。
神社内には11基の燈籠があって、特に拝殿の脇にある燈籠は延享二乙丑(1745年)9月に寄進されたとある。
相当に古い。
神社を後にして、本来の参道を麓に降りて行く。
帰りはバスで住道駅まで戻るつもりであったが、調べてみると地元の瓢箪山近くまでバスが走っているようだ。
古堤街道、ここからは山を登って奈良側まで続くが、一旦ここまで。
さて次の街道は?
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