古堤街道を歩く(JR住道駅〜中垣内あたりまで散策)①
前回JR住道駅まで行ったのは6月だったので、4ヶ月ぶりになった。
そもそも古堤街道は、大阪と奈良を結ぶ主要街道のひとつ。
近世以前、河内国に深野池・新開池という2つの大きな池が存在していたころは京橋から東へ、新開池の北側のほとりを通り、角堂浜(住道浜)から船で深野池の東岸へ渡った。このあたりまでは大坂からの野崎参りの参拝道としても機能した。1704年の大和川付け替え以降は大きな池はなくなり、京橋から住道までは寝屋川右岸に沿い、現在のJR住道駅前で寝屋川を橋で渡り、中垣内から竜間方面へ山を越えた。〜出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋。
中垣内を越えたあたりから山を登って奈良に向かうのだが、阪奈道路(本街道の交通量が増大したことによる抜本的対策として建設され、1958年に開通した道路)と重なる部分があり、車の行き交う横を歩かなければならない。
・・・それはちょっと、勘弁願いたい。
ということで、今回は住道から中垣内あたりまでを散策して、古堤街道は一旦休止としておこう。
駅前には周辺の案内図があった。
今日散策する部分を撮ってみたが、須波麻神社辺りまで歩いてみたい。
何度か来ているが、こんなモニュメントがあったんだ。
ライオン像噴水とあるが、水は出ていない。
広場から北を見ると川が合流していて、手前が恩智川で、向こう側が寝屋川。
東へ向かって、住道本通商店街を歩く。
ひっそりしている。
商店街を抜けたところには街道の石碑が、注意しなければ見逃してしまいそうなところにある。
以前も掲載しているが、今回もスタート地点なので。
以前というのは、河内街道で北上したときに通過している。
同じく、ちょっと寄り道して「河内街道案内マップ」も確認しておく。
東に向いて歩いていくと、真っ白な壁に囲まれた旧家が見えてくる。
この後出てくる案内板には「千石倉(高松邸)」と書かれているが、調べてもよく分からなかった。
その案内板。
古堤街道を解説してくれている。
ところで今回の案内人は、大東市魅力発信サイト「エエトコ!だいどう」にある「大東市歴史の散策道」 から、古堤街道を行く(東コース)住道駅~中垣内バス停を参考にさせてもらっている。
なかなか面白いので、参考までに。
さて安楽寺前にあるという、角ノ堂銘碑というのを探しに行く途中の八幡(はちまん)神社。
あった、あった。
地蔵尊の前に「角ノ堂銘碑」。
明治22年(1889)六つの村が合併した際に、寝屋川と恩智川の合流地点にあった「角堂」という地名をとり、「住道」と名づけられたそうです。
次は平野屋新田会所跡に向かいます。
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