長尾街道(南海堺駅〜近鉄河内松原駅)・・・古くは大津道と呼ばれた②
長尾街道の続き・・・JR堺市駅を通過。
さらに、東へ。
今回、4つ目の道標。
次で5つ目の道標。
ここで初めて、しかも立派な解説版に出会った。
堺市は歴史のある街なので、主な街道だけでも5つある。
この長尾街道以外には、熊野街道、紀州街道、竹内街道、西高野街道。
長尾街道の次は、西高野街道を歩こうか。
解説と地図。
近くに町会の案内図、ここにも長尾街道はきちんと表記されてあった。
(多分)6つ目の道標。
今回は、側面に長尾街道の説明が彫られている。
街道の痕跡の最たるものは、焼杉の塀に囲まれた家と、白い壁の土蔵じゃないかな。
7つ目の道標は可愛い「飛び出し注意」の看板の影に。
愛染院(あいぜんいん)。
寺伝によると、天平年間(729年-749年)に、聖武天皇の勅願によって行基により開かれた花田池浦観音寺が前身とされる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
由緒ある神社仏閣には、必ずと言ってよいほど「くすの木」がある。
8つ目の道標。
それにしても道標が多いので、迷うことがない。
おや、これまでと違う道標が。
右、勝手大明神とあるが、調べてみたがよく分からない😅
え〜っと、9つ目!?
道標ばかりで申し訳ない・・・。
西除川に架かる布忍橋に出た。
北側には何度もお参りした布忍神社がある。
布忍駅の踏切を通過。
何度も歩いているが、踏切を超えて更にまっすぐ東に。
今年は喪中で控えたが、2018年から毎年初歩きを松原市の開運松原六社参りにしてきた。
開運松原六社参り
来年は再開しようかな。
明治43年に「修繕」とある道標。
これは、値打ちがある!
石碑、「中門の堰桶」。
遺跡は見当たらないが、堰を設けて水量を調節していたんだろう。
中高野街道との交点で本日は終了。
中高野街道は、こちらをどうぞ。
最近は天気の移り変わりが早い。
時間の取れる時と、晴れる日が重なれば良いけど、雨も多いしね。
次回に、ご期待を!
ぽちっとお願いします!
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