西高野街道(南海北野田駅〜河内長野駅)①
前日は豪雨だったが、当日は一転猛暑の晴れ日。
6月だというのにすでに夏のような・・・、週末には梅雨入りするんだとか。
帽子を被って出かけてみた。
南海北野田駅は、急行の停車駅。
駅から街道まで、20分かけて戻らないといけない。
途中、不思議なサークル!?
どうも、これを中心に住宅街が広がっているようだ。
高級住宅街???
答えはバス停の名前にあった。
水は出ていないが、サークルの中心部は噴水になっている。
さて前回の区切りだった場所に戻って西高野街道を再開する。
最高気温は31度との予報。
前回も書いたが、この街道には道標が多い。
早速、公園の際にある道標を見つけた。
街道の風情がある町並み。
街道はほぼ一直線に伸びている。
天野山の表記もある道標。
蛇足ながら、長野は長野県ではありません。
これから向かう河内長野のこと。
大阪府の歴史街道ウォーキングマップに、「街道の面影のあるみち」と紹介されている。
道標もそれに合わせて設置しているのだろうか。
街道沿いには、地蔵尊もよく見かける。
ここにも地蔵尊と道標が。
大平大明神と地蔵堂。
地蔵尊の二体のうち一体には「右さやま よしの 道」という文字が読める。
大平大明神の横には「太神宮」と刻む伊勢燈籠。
なだらかな坂道を登ってきたら、十一里石までやってきた。
振り返ると登りの程度が分かる。
さすがに足裏にはじわじわ応えてきた。
道標の一番多いパターンが、これ。
岩室の交差点は跨道橋を渡る。
手前の道標には左折狭山池の表記もあるので、これから順に下高野街道、中高野街道、東高野街道に合流していく。
暫く行くと左側に比較的新しい3つの石碑が建っている。
「家塾跡」、「岩室郵便局跡」、「西高野街道」
「家塾(かじゅく)」は、嘉永5年(1852年)2月開設から明治21年(1888年)まで存在した私塾のようで、初代塾長は中村喜一郎氏。
「岩室郵便局」は、明治4年(1871年)11月24日に創設され、初代局長は上記の中村喜一郎氏。
この人の功績を称えた石碑になるのかな。
ようやく天野街道との追分にやって来た。
此処から先は次回に。
そろそろお腹も空いてきたので、例によって日陰のある公園を探さないと。
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