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紀州街道(岸和田〜鶴原)③

さて、貝塚市に入った。
捕鳥部 万(ととりべ の よろず)の石碑。

日本書紀の記述にあるらしい。
豪族、物部守屋の家来。
丁未の乱において物部方に属して戦い、100人を率いて守屋の難波の邸宅を守備したが、主君の守屋が討たれてしまう。
これまでということで、逃げた竹藪の中で竹を縄でつないで動かし、自分の居場所をあざむいて、敵が近づいたところで弓矢を放ち、衛士の攻撃を受けつつ奮闘する。
膝に矢を受けつつも、30人ほど射殺し朝廷の兵士を防ぎ続けるが、最後は首を小刀で刺して自害した。
朝廷は万の死骸を八つ裂きにせよと命じるが、万が飼っていた一匹の犬が万の死骸の側を離れず、万の首を咥えて古い墓に納め、犬はその墓の上に伏したまま死んでしまう。
この報告を受けた朝廷は、世にも珍しい忠義深い犬だとして、万と犬の墓を作らせて丁重に葬ることにした。

実際には、岸和田市天神山町の住宅地内にある天神山古墳であるとされているので、それはここより東の方だが。

貝塚のこの辺りの街道沿いも歴史ある住宅が点在する。
良い雰囲気だ。

貝塚北小学校の前には、卜半役所跡の説明書き。
寺内町であったらしく(道理で街の雰囲気が良い)、明治以前は卜半役所という政庁が置かれていた。

国道ではなく、少し入った脇道が街道なのが嬉しくなってくる。
まっすぐの細いほうが紀州街道。
左に並行しているのが国道。

久しぶりに道標を発見。
「左 粉川街道犬鳴不動粉川道」
「右 国道廿九号路線佐野加太和歌山道」

粉川道は粉河街道、ここを起点に西国三十三カ所の粉河寺に通じる。
ペンキのようなものが掛けられているのが悲しい。

近木川(こぎがわ)を渡る。

よく見かける幟をふと見ると、水茄子漬け。
泉州名物の一つですね。

国道204号には、つかず離れず。
これも右の細い方を行く。

またまた、川が。
これは、見出川。

ふと覗き込むと亀が群がる異様な風景に出くわした。

よく見ると捨てられたスイカに群がっているらしい。

分岐点に道標。

右は、孝子峠を越えて和歌山へといたる浜街道(別名、孝子越街道)。
もちろん今日は、左の紀州街道に。

鶴原駅まで来たが、ひとまず素通りして踏切を渡る。
線路の向こうには、りんくうゲートタワービルが見えている。

突き当りが、泉佐野市立第三中学校。
左から学校の裏に回り込むと、熊野街道(小栗街道)との合流点。(のはず)

左から来る熊野街道との合流点。(のはず)

・・・のはず、ばかりだが、ひとまずここで終了とした。
いつの日か、熊野街道を辿って、ここまで来ることになる。(・・・はず)

南海本線鶴原駅から帰途についた。

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