西高野街道(南海北野田駅〜河内長野駅)②

ここから右の道を進めば天野山へ向かう天野街道、西高野街道は左の道をまっすぐに。

暫く登りが続いたが、やがて見晴らしの良い下り坂に差し掛かった。
MAPによると、おわり坂と言うんだそうだ。
最初は「終わり坂」と思ったので、高野山に行くまではまだまだ登りも続くことだし、大阪に向かう際に最後の坂という意味に捉えたが・・・。
あとで調べたら「尾張坂」が正解だった。

この近くに公園があったので昼食を取って、再び歩き出す。
富田林方面にPLの塔が見えていた。
確かに見晴らしが良い!

坂をおりきると再び登り坂が続く。
このあたりは丘陵地帯だからね。

すぐのところに地蔵尊があった。
牛滝地蔵尊と言って、お地蔵さんは慶応3年(1867年)に半田村の喜助という方が寄進したそうだ。
説明書きによると、昔から土用の丑の日、あるいは丑年の丑の日に三津屋川で足を洗い、このお地蔵さんにお参りすると「しもやけ」や「あせも」にならず、皮膚病に御利益があると言われており、現在でも「足の地蔵さん」と信仰されているとのこと。

西高野街道の説明板と道標。
先程の「尾張坂」の説明も記されている。
愛知県知多半島出身の土木技術集団にちなむ地名だと。

地蔵尊をよく見かける。
こちらは、玄昌法師地蔵尊。
変わっているのは、水の代わりにお酒をかけて願い事をするそうです。
歯痛や頭痛にご利益があるとか。

高野山女人堂まで10里のところまでやって来た。
まだ約40kmもあるわけだ。

地蔵尊、大神宮の御神燈などかたまった一角があった。
道標は上神谷妙見山への道しるべ。
江戸時代には妙見信仰が流行し、多くの人が上神谷(にわだに)街道を通って「妙見さん」(堺にある妙見山感応寺)に参詣したそうだが、これって上神谷街道?
宿題がまた一つ増えた。

見覚えのある三叉路。

そう、振り返ると分かる中高野街道との合流地点。
中高野街道は、去年の1月に歩いているので約1年半ぶり。
中高野街道(大阪狭山市駅〜千代田駅)

合流点だけに解説板も掲げられている。

合流点の少し先にあるのは、新しい道標。
(しかし、前回も同じものを撮っている)

ここから近いと思ったが意外に長く、晴天、最高気温31度の暑さにはこたえた。
ふと下を見ると、こんなところにも街道のプレート。

歩いているだけではつまらない。
何か無いかと探しながら歩いていたら、道に埋もれた道標を見つけた。
探してみるもんだ。

右 さかい大・・・堺大阪と思われる。
左 まきの・・・???

道路を舗装する時に、何らかのやり方が無いものか。
保全しようという気がないのかなあ。

高野山女人堂まで9里のところまでやって来た。
道標が並んで建っている。

ここは行者堂の一角になっており、他にも大峰山詣で33回の石碑も並んでいる。
行者堂には役行者が祀られているそうだ。

ようやく本日の終着点、東高野街道との合流地点にやって来た。
堺から2回に分けて歩いたが、かなり歩きやすい街道だった。

いよいよ梅雨入りしたが、今年の梅雨は短期間豪雨型なんだって。
次のウォーキング、こちらの歩ける日と天候の一致する日があるかな。
晴れたら晴れたで暑いしね・・・。
高野山へはいずれ行きたいが、高野街道はこれで一旦終了。

さあ帰ろう。

今回の街道歩き資料、特にお世話になったのは、
歴史街道ウォーキングマップ(大阪府)
西高野街道今昔まちあるき(堺市)

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