時代の先端を刻んだ西船場ーOsakaMetroまちさんぽ/四つ橋線 肥後橋駅

ウォーキングというより散歩がてら、肥後橋周辺をブラブラしてきた。
江戸堀川(元和3年/1617年に開削され諸藩の蔵屋敷が集積していた)沿いにはいくつもの旧跡が点在している。
今は埋め立てられて跡形もないが、最後の方で江戸堀川跡の碑も見に行ってみる。
まずは四つ橋線肥後橋駅からスタート。
地上に出たところが大同生命本社ビル。
このあたりに、大同生命の源流である豪商加島屋があったそうだ。
朝ドラは見ていないので知らなかったが、「あさが来た」のヒロイン広岡浅子は大同生命の創業にも関わっていた。
いずれ小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯も読んでみよう。
今日は天気もよく風も弱いので歩くにはちょうど良い。
金光教玉水教会。
教会の前にあったのは、頼山陽生誕地の碑。
頼山陽は歴史書『日本外史』を執筆した人で、この本が尊王攘夷運動の思想的支柱になったそうだ。
暫く歩くと、ビルの間に忽然とレンガ造りの教会が姿を表す。
大阪の都市部を歩いていると、あちこちにレトロなビルが点在するので楽しい。
日本基督教団大阪教会。
江戸堀川(があったというところ)を横切って、西少し歩くと西船場小学校の前に先賢景仰碑。
下船場に集まった江戸時代以来の先賢を検証するために建てられた。
西に向かってなにわ筋を越える。
信号が無いので歩道橋を渡るが、この先真っすぐ行くと福島駅。
そういえば今日は珍しく日曜日に出歩いている。
行く場所によっては人も多いが、ビジネス街散歩は休日のほうが狙い目かも。
人が少なくて良い!
こちらもフェンスに囲われていたが、iPhoneを差し入れて撮ってみた。
此花乃井(花乃井)、井戸のことで良質な水で飲料としても使われていたようだ。
少し南に行って、花乃井公園にあった中天游邸跡・・・の碑。
江戸時代の蘭学者で、子弟には緒方洪庵もいる。
ぶらぶら街散歩。
今度は来た道を少し戻って、大村益次郎寓居跡に。
跡地と行っても面影はなくてビルがそびえ立っている。
でもこうして碑を残すのは良いことです。
さて次も現在の様子から見ていただこう。
これだけでは何があったかわからないが、ちゃんと碑を建ててくれている。
薩摩藩蔵屋敷跡。
次も現況から見ていただくと、
此のビルの前にあった碑は、宮本外骨ゆかりの地碑。
何がゆかりというと、彼が発刊していた『滑稽新聞』の会社がこの辺にあったと言われている。
明治期に公権力を批判する反骨のジャーナリストで、政府批判を続けた。
罰金・発禁など29回の処分を受けていたと言うから一本筋が通っているというか。
江戸堀やまぐち(割烹料理店ー今は営業していない?)の前にある碑は、薩摩藩中屋敷跡碑。
まちさんぽのマップでのポイントは以上だが、もう少しぶらぶら。
ゴールの駅は、阿波座になっている。
江戸堀川が流れ込んでいた木津川の手前にあった江戸堀川跡碑。
雑候場魚市場跡。
起源は豊臣秀吉の大坂築城以前と言われ、一時は西日本最大の生魚市場であった。
280年にも及ぶ歴史を閉じたのは、昭和6年の大阪中央卸売市場に他の卸売市場と主に統合されたときである。
今はその面影もなく、市街地としてマンション群が立ち並ぶ。
一度は訪れたいと思っていたが、こんなところにあったとはね。
ここまで1時間ほどの街散歩。
時間の割には歴史がぎゅっと詰まっていて、歩いていて飽きなかった。
さて、帰るとしますか!
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