河内街道(JR八尾駅〜近鉄荒本駅)③

小さな公園の隅に道標があった。
左、天王寺というのは方角としてはあっている。
昔からあるのだろうか?

そのすぐ先には、加津良神社。
河内街道によって東西に二分されているそうだが、知らなかったので見過ごしたかも。

また暫く歩くと、西郡天神社がある。

天文年間(1532年-1555年)の創建とも、それ以前とも言われている。
この辺り、錦織連の居住地で・・・後で調べたんだが・・・。
錦織連は百済より渡来した織物技術者で、宮中に仕えていたそうです。

境内にあった御神燈。
宝暦と刻まれているから1751年〜1764年にあたるが、ほんとに!?

更に進んで、幸町の交差点を左の細い方の道へ。

すぐに第二寝屋川を渡る。
細かい浮草が、大量に流れている。
そんな季節なのかな。

東大阪に入った。
若江の地蔵尊。

そのすぐ先に、道標があった。
十三街道の道しるべ。
十三街道(じゅうさんかいどう)は 俊徳街道(しゅんとくかいどう) とも呼ばれる。
大阪市の玉造駅付近あるいは四天王寺南門付近から、この道標のある場所を経由して、十三峠を超え奈良県の竜田までを結ぶ。
いずれ、歩いてみよう。

続いて、若江鏡神社。
東大阪市文化財に指定されている。
北側に若江城があった関係で、歴代城主の崇敬を受けたが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、兵火にかかって社殿や神宝が焼失したようだ。
本殿が再建されたのは、江戸時代だそうです。

ここの御神燈も宝暦と刻まれている。
古代の河内街道が、村落をつなぐ生活道路であったとすれば、歴史の深いのもうなずける。

境内には蓮城寺があり、木村重成公の位牌堂がある。
大阪夏の陣、八尾・若江の戦いで戦没している。

街道の雰囲気のある曲がりくねった道を先に進む。

近鉄奈良線、若江岩田駅を越えて最初の角に石灯籠があった。
石田神社とある。

何やら古そうな家があった。

由緒があるのかと立ち止まったら、解説版が貼ってあった。
猿棟、石田家住宅とある。

茅葺屋根の棟にサルが載っている!?

これかな?
ズームしたので、少しぼやけているが、確かにサルのようなものが。
このサルは西側にあたるので、右手には御幣、左手には扇を持っている。
・・・ようにも見える。

二又路。
左の道が古そうで、街道らしく思える!?

左の道を入ってすぐに、行基が作ったという墓苑。
岩田墓地。
やっぱり、歴史街道だ。

六体の石仏。

先日歩いた暗越奈良街道との交差点に出た。
右からが、今歩いてきた河内街道。
左へ進むと、遠くに生駒の山が見えているが、暗峠に向かう道。
すぐ先には、八劍神社がある。

暗越奈良街道(河内永和駅〜枚岡)②

乗教寺(浄土真宗寺院)を左に見て、

本日の終点、荒本駅に到着。

距離はさほどでもないが、古代に思いを馳せながら、河内街道を楽しむことができた。
次回も楽しみ!!

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