中高野街道(近鉄布施駅〜平野)②

旧巽村役場跡を過ぎてすぐのところに、念佛堂という地蔵尊がある。
言われなどは分からない。

道を歩いていると、よく「いけず石」に出会う。
文字通り、家の角などに置いて自転車や車が接触しないように「いけず」しているわけだ。
でも、・・・そんなに置かなくても。

中高野街道を南下していたのが、一旦東へ向かうと、突き当りに巽神社がある。

鳥居を越えると、大きな通り。
これは府道159号平野守口線、大阪では内環状線と呼ばれている。
内環状線→中央環状線→外環状線と広がっていくが、外環状線の外側に東高野街道がある。
この内環も以前は良く通った。
もう少し先を東に向かえば、実家も近い。

内環を越えるとすぐにある、巽神社。
巽地域(旧巽町・・・巽北・巽西・巽中・巽東・巽南)の氏神で、応神天皇が主祭神。

本殿。

こんなのが、あった。
コロナ禍で設置したものか、接触しなくても鈴がなるらしい。

暫く行くと、道を塞ぐような大きな木があった。

わざと残しているには訳がありそうに思ったので、周囲を探ると立て札がある。
木の種類はエノキ。
名前があって、「おじいさんの木」と呼ぶそうだ。
江戸時代からあって、平野郷から放出に至る放出街道の道しるべとして見守ってきたそうだ。

平野川が見えてきた。
平野(平野郷)も近い。

JR大和路線の踏切を越える。
東側を望むと、左に折れていくのが「おおさか東線」、真っ直ぐが大和路線になりますね。

で、踏切を越えて直ぐを右側に進むと、平野郷環濠跡にでる。
平野は堺と並ぶ、古くからの自治都市だった。
交通の要衝でもあり、中高野街道の起点と言われているし、放出街道、奈良街道、八尾街道などが通っていた。

このあと、杭全神社にを経由して帰途につく。
杭全神社は、次回に詳しく報告したい。
今回は、ここまでで7km弱。
久しぶりなのでこの辺にしておこう。

王将の餃子を求めての昼飯の顛末は、また後日!

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