古堤街道を歩く(JR京橋駅〜JR住道駅)②
大阪市内から東に向かうので、まずは内環(内環状線)を通過。
正式には、国道479号線。
国道に昇格する前は、大阪府道1号内環状線であった。
大阪では、内環、中環、外環と呼び、我が家は外環の近くなので、結構大阪の郊外になります。
内環を過ぎて、古川からの合流点、水門。
上流に遡れば、寝屋川に行き着く。
古川を過ぎた辺り、徳庵橋周辺は川が入り組んでいる。
川の両側(土手)が高くて様子がわかりにくいが、案内図で見ればよく分かる。
徳庵橋を過ぎると、少し川から離れて街道らしい道が続く。
徳庵の次は、鴻池新田。
ちょうど川を挟んで反対側をJR学研都市線(昔の片町線)が走っていて、駅名も徳庵駅、鴻池新田駅と続き、本日のゴール目標の住道駅へと続く。
寝屋川とは、付かず離れず。
この辺も川の擁壁は高いので、ほとんど向こう側は見えない。
寝屋川にかかる万代橋。
概ね寝屋川の向こうが東大阪市で、手前はまだ大阪市鶴見区。
もう東へ行くと、大東市になる。
この先中環が通っているので、まっすぐに進めない。
大きく迂回。
迂回してから再び寝屋川に。
鴻池橋を渡る。
鴻池は、江戸時代中期の大阪の豪商・鴻池家。
3代目、鴻池善右衛門宗利が、この先の鴻池新田を開墾した。
寝屋川の向こうに生駒山が近づいてきている。
画像右側が鴻池新田があったのだろうか。
今は住宅街が広がっている。
宝永元年(1704年)に大和川付け替え工事が行なわれたあと、旧河川・水位が減少した湖沼の一つ、新開池という大きな池のあった辺り(現在の東大阪市北部の鴻池町周辺)200町歩あまりを鴻池善右衛門が譲り受け、新田開発を行ったとある。
鴻池新田会所跡の石碑。
向こうに見えるのが会所。
鴻池新田会所之碑も建てられてる。
先程の由来も詳しく書かれている。
国の重要文化材でもあり見学したかったが、ご覧のように「休館中」となっていた。
残念。
後で調べてみたら、東大阪市之HPに記載されている。
「鴻池新田会所は耐震工事の実施に伴い、令和5年3月31日(金曜日)をもって休館しました。」
リニューアルオープンがいつになるかは未定のようだが、期待して待つことにしよう。
会所跡を後にして、再び寝屋川沿いに戻る。
相変わらずの川の擁壁を左に見ながら東へ向かう。
治水のためとはいえ、風情はないな。
励みになるので、ぽちっとお願いします!
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。