天下一の花街・新町を歩くーOsakaMetroまちさんぽ/四ツ橋線 四ツ橋駅

先週に引き続き、四つ橋線四ツ橋駅周辺を街ブラしてきた。
花街って、艶めいた言葉でないかい?
このあたり新町は、徳川幕府が設置した公認の遊郭があったそうな。
例によって地上に出るとビルの一角。
四ツ橋駅。
四ツ橋の名前の由来。
かつて西横堀川に掛かっていた上繋橋、下繋橋、長堀川に掛かっていた炭屋橋、吉野屋橋の4つの橋から来ている。
かつての橋をモニュメントとして整備されている。
奥は、喫煙所。
上の画像の阪神高速を隔てて向こう側には句碑が。
「涼しさに四ツ橋を四つ渡りけり」
今のような異常気象の猛暑ではなかった頃の風情が感じられて、良いねー。
さて、歩きましょう!
一旦、北に向かう。
江戸時代、船場から新町遊郭へ通じる新町橋のモニュメント。
旧西横堀川に掛かっていた橋。
新町遊郭は元禄の頃には2000人の遊女を抱え、西鶴の浮世草子、近松の浄瑠璃にも描かれている。
当時の賑やかな様子がうかがえますな。
新町通り(瓢箪町)。
ここに扇屋があり、夕霧という太夫(再高位の遊女)がいたそうな。
吉原の高尾、島原の吉野と3大名妓と言われたそうで、27歳で亡くなったときには大阪中が悲嘆にくれたとか。
そこまでの女性なら、一度は見てみたい!
新町北公園。
都会のオアシス!?・・・日陰がありがたい。
公園の隅にある新町九軒桜堤の跡碑と千代女の句碑。
新町遊郭は出入り自由で、桜の季節には町人が太夫行列と花吹雪の見物に集った。
公園を出てすぐの角に、初世中村鴈治郎の生誕の地碑。
明治から大正、昭和初期に活躍した上方歌舞伎役者。
屋号の成駒屋は、私でも聞いたことがある。
しばらく歩くと狭い路地に石畳がある。
かつての新町遊廓の名残だそうですよ。
路地を抜けて西へ真っ直ぐ進むと、新町南公園にでる。
この近辺にいくつかのポイントが。
新町演舞場跡地碑。
公園に入ると、砂場の碑。
秀吉の大阪城築城に際して、砂類の蓄積場がおかれた。
最後は、間長涯(はざまちょうがい)天文観測の地碑。
江戸中期の暦学者・天文学者。幕府に招かれて江戸に出て寛政暦を完成させた。
その功績で間姓が許され、帰坂後は富田屋橋で天体観測に従事した。
観測時には町民も場所を譲って応援したそうな。
その富田屋橋の碑も横に並んでいる。
大阪メトロの「まちさんぽ」はここで終わりだが、帰りは難波までブラブラ歩いた。
湊町リバープレイス。
道頓堀川。
「道頓堀川万灯祭2025」というのをやっているので、提灯が連なっている。
夜に来なくちゃね。
出世地蔵尊。
出世には縁がなくなったっす。
難波から帰途に。
郊外を歩くより、ビルの日陰が多くて助かった。
大阪の街には、まだまだ見るべきものが多いですね〜。
励みになるので、下のアイコンをぽちっとお願いします!
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。