東高野街道(近鉄瓢箪駅~安堂駅)②

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)をあとにして、南へ南へまっすぐに歩いていくと、千塚東の交差点。千塚の地名の由来は、このあたりに古墳時代後期の小規模の古墳が多数存在しており、総称として「高安千塚」(たかやすせんづか)と言うところからきている。
・・・なるほど。

近鉄信貴山線が見えてきた。大阪府八尾市の河内山本駅から信貴山口駅までを結ぶ路線で、幼いころに信貴山への初詣によく利用した。今は無いが、信貴山口からケーブルカーで上まで行って、そこからバスで信貴山朝護孫子寺へ参った記憶がある。当時はとにかく混んでいて、電車もバスも満員だったなあ。

郡川の交差点。

西側に「公園・史跡指定地」を整備していると看板があって、広大な土地を整備しているところだった。調べてみると、物流ニュースに先進的物流施設「GLP 八尾I・II」を開発するとの記事を見つけた。このことかな?



今度は道標。これより信貴山道と読める。裏側には「宝永」とあるので江戸時代の初期のようだ。

かつての石灯籠のベースのみが残っていた。

垣内村一里塚。
東高野街道は文字通り高野山詣で京から辿る街道であるが、一里塚は里程をはかるものとして、これまで歩いてきた善根寺、四条、楽音寺にもかつてはあったそうだ。

垣内村一里塚の近くには、法華塔の石碑。

石碑に「元善光」とあるが、近くに善光寺がある。八尾市の観光データベースによると、阿弥陀如来を本尊とする不断山善光寺のこと。寄り道しないで、そのまま南下。

恩智神社の鳥居があった。以前訪れているが、この先、かなりの坂道だったような気がする。ここも、寄らない。

鳥居の前の交差点は、東高野街道と恩智街道の交点と書いてある。

脇には道標が二つ。左は比較的新しく、右のは時代を感じさせる。

東へ向かえば信貴山に、西に向かえば大坂とある。

さてさて、安堂まではあと少し。

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