開運松原六社参り2025 ②
今年の六社参りの冊子(というかマップ)はこんな感じ。
絵馬を購入すると貰える。
今年はマップがイラストになっているので、初めての人にとっては経路がわかりにくいかもね。
ただQRコードでGoogleマップに導いてくれて、各神社の所在はそれで分かるようにはなっている。
さて屯倉神社を後にして、ひたすら西へ歩く。
阪南大学を通過して、阿麻美許曾神社に向かっているので、大きな目印とは言えるかな。
昼食も近くの公園で菓子パンを。
阿麻美許曾(あまみこそ)神社に到着!
これで4つめになるが、どこも意外と人は少ない。
4日ともなると、こんなものなのかな。
以前にも書いたと思うけど、ここだけは大阪市になっている。
経緯はウィキペディアをそのまま引用させてもらおう。
この神社を含む一帯はもともと(後に大阪市の一部となる)矢田村の一部であったが、江戸時代に大和川の付け替えにより川が矢田村を分断し、神社は大和川の南岸に切り離されてしまうことになった。この際に、南岸に残された矢田村の大半は後の松原市となる側に編入されることになったが、神社は矢田村の氏神であったことから、神社の周囲と参道のみは矢田村に残留した。このために、神社周辺は大和川の南岸にありながら大阪市に属しており、参道に相当する部分(下高野街道)が細長く松原市に食い込んで大阪市として存在している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ここから今度は南の方向へ。
さて問題の(?)シフォンケーキのお店。
ここを通るたびに、「モーニングが1日中あるんか〜い!」と叫んでいたが、
どうもやめたらしい。
去年までの写真と並べてみた。
西除川をわたる。
ようやく、我堂八幡宮。
厄除けの神様。
61歳で最後の厄年を終えると、その後は何も無い。
喜ぶべきか悲しむべきか、昔の人はこんなに長生きしていないから?
ともあれ、お参り。
境内にある力くらべの石。
我堂八幡宮から布忍神社へ。
最初の頃はよく道を間違えたが、8回目ともなると流石に間違いようがない。
布忍神社、一の鳥居。
神社に到着。
ここは結構参拝者が多い。
また例によって若いカップルで溢れている。
さすがに恋みくじの神社だけはあって、くじをくくる所もハート型!?
干支の絵馬も拝見して、これで六社参りは完了。
ここからは長尾街道沿いに歩いて、最初の柴籬神社に戻る。
ということで、六社お参りして参拝印を頂き、柴籬神社で置物のヘビも頂いた。
今年も一年、元気に歩きまわります!!!
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