古市街道(大阪メトロ八尾南駅〜近鉄古市駅)②

藤井寺高校の北側を通り、カラ池を右手に見て歩く。
古地図にもある池で、昔から灌漑用らしい。

少し行くと、何の変哲もない橋ではあるが、

馬街道橋とある。
この付近は馬街道とも呼ばれたらしいが、謂れは不明。

橋をわたって突き当たると、津堂の集落に入って、正面に津堂城山古墳が見えてくる。
2020年に、近鉄のてくてくマップで訪れていた。
羽曳野・藤井寺 史跡・古墳コース #てくてくまっぷ
今日は古市街道なので、古墳の手前で南東に向かう。

しばらく歩くと、突き当たりにあるのは、産土(うぶすな)神社。
創建年代は不明だが、社頭案内板には室町時代に遡るとしている。

拝殿。

神社の鳥居の脇に、道標があった。
この道標は、天保年間に大峯参詣の道標として造立されたものらしい。

産土神社の前を右折して更に南へ向かうと、左手に大きな常夜燈がある。
後で調べてみたらこの常夜燈、元は天王寺の空掘町にあり、後に小山に移され、明治24年になって現在の場所に移築されたようだ。
江戸時代のお蔭参りではこの前を沢山の人が通ったんだろうか。

藤井寺北商店街。
一時の暑さは収まったが、まだ30度を少し越える気温なので日影を歩けるのはありがたい。

商店街を抜けると右手に近鉄藤井寺駅。

踏切を越えた先には、左手に葛井寺。
駅から来ると、四脚門(国重要文化財)から入る。

本堂。
葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建された。

南の方から寺を出る。
なので、最後に南大門。

門の脇には石碑があって、遣唐留学生 井真成(いのまなり)記念碑とある。
西暦717年、19歳で遣唐使として阿倍仲麻呂らと共に唐に渡った留学生。
後に発見された墓誌に国号日本と刻まれていたそうだ。
(現存する「日本」の文字としては最も古いと言われている)

そう言えば、さっき葛井寺の踏切を越えたところにもお人形さんがあった。

南大門を抜けて更に南下するが、続きは次回に。
古市街道もあと少しか。

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